アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

窒素固定菌(根粒菌)とはなにか

さて、先日Twitter根粒菌の話題が出ていたので、それに絡めて植物栄養で窒素の話、特に根粒菌というか窒素固定菌について取り上げてみよう。
窒素関連の話題については「有機物施用とアミノ酸吸収について」や「有機栽培と大規模農業経営は対立する概念? ?有機栽培での窒素供給について?」、「化学肥料、何が問題なのか」などで取り上げてきた。植物栄養の窒素としては十分に取り上げてきたと思うので、ご参照いただきたい。
窒素は地球上に豊富に存在し、大気のおよそ80%を占めている。しかし、それはN2という窒素分子の状態であり、非常に安定している。このため、生物の必須元素でありながらほとんどの動植物は大気中の窒素を直接利用できない。自力では有機物として循環している窒素しか利用できないのである。そこで、大気中の窒素を固定し、主に植物が利用できる形態にできる微生物がおり、それと共生するなどして取り込んでいる。それらの菌を総称して窒素固定菌という。それでは、菌の種類(大きなくくりです)ごとに解説してみよう。

1 根粒菌
グラム陰性の桿菌で、主にマメ科植物の根に寄生して空気中の窒素を還元してアンモニア態窒素に変え、宿主に供給する。鞭毛をもち運動性を有するが、宿主に寄生するとこん棒状などのバクテロイドとなり、宿主から光合成産物を受け取って、これを利用してアンモニア態窒素を供給するという共生関係にある。宿主の植物種に対する特異性から8種類に分類されている。窒素固定菌の中では最も効率がよく、9kg/10a以上の生産能力がある。
このようなことから、マメ科植物は窒素肥料を施用しなくても育つ。営利栽培の大豆などでも他の野菜類に比べると窒素施用量は少ない。また、このような性質を利用してマメ科植物を緑肥作物とすることも多い。秋?春にかけてレンゲソウ(紫雲英・ゲンゲ)を水稲の裏作に作付し、春先にすき込むことで空気中の窒素を取り込み、基肥の代替とすることも行われている。

2 フランキア
アクチノリザル植物(ブナ科やバラ科、ウリ科などの一部)という植物群と共生する窒素固定菌であり、真正細菌の一属で放線菌。放線菌は細菌でありながら多細胞で、菌糸や胞子を形成し、見た目は糸状菌(カビ)のようである。ベクシルという細胞を形成し、そこで窒素固定を行う。

3 アゾトバクター
非共生的に窒素固定を行う細菌。好気的環境において単独で窒素固定を行い、酸素がないと生存できない。窒素固定だけでなく植物ホルモンの産生も行い、土壌に接種することでムギなどの増収効果があることが知られている。作物根圏に定着させる条件は明らかになっていない。

4 ラン藻類
藻類の一種ではなく、細菌と考えられ、近年は藍色細菌と呼ばれている。ラン藻類には窒素固定能を持つものも多く、アカウキクサなどと共生している種類もある。

5 その他
嫌気性菌のクロストロリジウム、光合成細菌の一部、メタン菌の一部、硫酸還元菌の一部などが窒素固定を行う。

6 番外
窒素固定ではないが、植物の根と共生する菌根菌というものもある。様々な高等植物の根と共生し、難溶性のリン酸を可溶化することで植物に供給する。糸状菌で、内部に着生するものと外部に着生するものがある。

以上、窒素固定菌について解説してきたが、菌の種名、分類についてはよくわかっていないので、そのあたりのツッコミはご遠慮願います(苦笑)

IPM(総合的病害虫管理)ってなんだろう

農業生産の現場にいると、IPMという言葉を最近よく目にするようになった。これはIntegrated Pest Managementの略で、日本語では総合的病害虫管理と訳されることが多い。これは農薬だけに頼らず、利用可能なすべての防除技術をそれぞれ矛盾することなく組み合わせて実用上収益に問題ないレベルまで病害虫を抑制しようというものである、と私は理解している。念のため、FAO(国連食糧農業機関)による定義を引用しておこう。

『Integrated Pest Management (IPM)とは、農作物に対する有害生物制御に応用可能な全ての技術を精緻に考慮し、それらの発生増加を抑制する適切な方法を総合的に組み合わせ、農薬やその他の防除対策の実施は経済的に正当なレベルに保ちつつ、人や環境へのリスクを軽減または最小限に抑えることを意味する。IPMでは、農業生態系撹乱の可能性をより少なくし、有害生物の発生を抑える自然界の仕組みをうまく活かすことにより健全な農作物を育てることが重要視されている。』

ここでは人や環境へのリスクも軽減することが謳われている。ここでお気づきの方も多いと思うが、ことさら農薬の低減を強調したり、食の安全安心の向上に触れたりしていない。もちろん、「人へのリスク軽減」という部分からそう読み取れないこともないが、それらを含んでいるとはしてもそれが目的の主体でないことは明らかだ。
というのも、「食の安全」という意味において、農薬の低減や不使用はあまり意味のあることではない。農薬の使用基準については品目ごとに厳密に残留基準値を超過しないように設定されており、残留基準値自体も健康影響が起こらないように設定されていることは以前から述べている通りである。

ではなぜ、こういう概念が生まれ、普及してきたのだろうか。その歴史については農薬工業会のサイトが詳細に解説している。そちらはそちらでお読みいただくとして、以下で私の個人的見解を述べてみたい。

農薬工業会のサイトで解説されているように、IPMの元となる考え方は化学農薬に頼りすぎた防除体系に対する反省から1960年代から提唱され始めたようだ。ただ、私の印象では少なくとも日本では2000年代に入るまであまり浸透していなかったのではないかと思われる。というのも、農薬の使用基準に対する使用者の違反は平成15年に農薬取締法が改正されるまで罰則はなく、濃度や使用後日数が守られていない事例もあったのではないだろうか。それでも残留基準自体がかなり安全側に振った設定になっているうえ、使用基準も残留基準を超えないように余裕を見て設定されていたため、食品として流通している農作物で直接の健康被害はまずなかったはずである。
それでも平成15年の農薬取締法改正以後、というより平成14年の無登録農薬事件以降、世間(というより流通業者)の目が非常に厳しくなり、農薬使用基準の遵守や化学農薬の使用低減への意識は急激に高まってきたと思う。

  また、その事件等とは関係なく、農薬の安全性向上は農薬メーカーでも取り組まれ、様々な病害虫に対し、より特異性が高く人畜への毒性が低い農薬が開発されており、そういった農薬への移行が進んでいる。また、農薬工業会のサイトにも書いてあったように昔の農薬のように強力で一網打尽できるような殺虫剤は害虫の天敵も撲滅してしまい、かえって害虫を増やすというような現象(リサージェンス)を引き起こすこともあり、また強力であるがゆえに同じ農薬を繰り返し使い、抵抗性も発達させ、効果も現れにくくなってきた。そのような面からもIPMには意義がある。

さて、それでは生産の現場ではどのような技術が用いられているのだろうか。

1 耕種的防除
栽培上の工夫で病害虫を減らす防除技術。土壌改良や耕起などによる土壌の膨軟化や水はけの改善によって植物を健全にするとともに土壌伝染性の病害を減らす、残渣の圃場外への搬出により病原菌などの増殖の防止、輪作によって特定の病害虫の増加を防ぐ、台木や抵抗性品種の使用、それらを総合して栽培環境を適正化することによって防除を行う。

2 物理的防除
物理的障壁を作ったりすることで病害虫の侵入を防ぐ技術。防虫ネットにより害虫の侵入を防ぐ、粘着トラップなどで害虫を捕獲する(これは個体数の低減よりも発生のモニター目的のことが多い)、光が散乱する資材で害虫の飛来を阻害する(UVカットフィルムも含む)、紫外線や緑色光で抵抗性を誘導する、黄色蛍光灯で夜蛾類の飛来を防止する、などである。

3 生物的防除
生物を用いて病害虫の活動を抑制する技術。天敵による捕食で害虫の密度を下げる、拮抗する微生物により病原菌の増殖を抑制する、害虫に対する毒素を持つ微生物資材(菌そのものの場合と抽出毒素の場合がある)により防除する、など。

4 化学的防除
いわゆる化学農薬を使用した防除。殺虫、殺菌のほか誘因や忌避剤も含む。

これらを相互に矛盾しないように使用する、と先ほど述べたが、このあたりのマネジメントが難しいのである。例えば天敵を使用する場合、特にハダニ類の場合は同じダニ類の天敵であるカブリダニを使うことが多いが、当然ながら殺ダニ剤は天敵のカブリダニも殺してしまう場合がある。天敵のカブリダニには効果が少なく、ハダニには十分な効果のある薬剤もあるが、そうすると使える薬剤が限られ、慎重に防除のタイミングを図る必要がある。また、天敵が活動しやすい環境を作る必要もあり、そのためには餌になる害虫もある程度の発生は許容する必要があり、化学的防除への切り替えのタイミングを見誤ると被害が増大することもある。このため、IPMをうまく運用するためには発生密度やその他環境のモニターが欠かせないのである。

今回、IPMの意義や技術内容を紹介しようとして、すごくまとまりのない文章になってしまった。しかし、言いたいことはあらかた吐き出せたと思うので、疑問点や誤りなどご指摘していただき、より理解が深められれば、と思っている。

畝山智香子 著 「健康食品」のことがよくわかる本」

最近、すっかり書評ブログと化している当ブログです・・・。
今回は食品安全情報blogを書かれている畝山智香子さんの「「健康食品」のことがよくわかる本」を取り上げてみたい。畝山さんは国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長という立場にありながら、上記のblogを立ち上げて情報発信に努めておられる方だ。そのような方がいわゆる「健康食品」についてどのように書かれているのだろうか。

目次構成は日本評論社のサイトをご覧頂くとして、本の構成に沿って内容を紹介し、コメントしていきたい。

さて、まず第1章では医薬品の安全性がどのように担保されているのか(一般向けとしては)詳細に解説されている。その内容については繰り返さないが、これを読めば医薬品がいかに何重ものハードルをくぐり抜けてきているかわかると思う。しかもそれは、厳密にルールが決められていて、脇道や近道など無いこともよくわかるだろう。しかも、一旦承認された医薬品でもその後現場で使用されるに当たって、何か問題が起これば直ちにフィードバックされ、常に見直しが行われるということも知って頂きたい。
ともかく、表の細かい中身などまで理解し、覚える必要は無いと思うが、医薬品承認の厳密性は「科学」というものに通底する「確実性」を担保するための考え方にも通じる部分があるので、是非理解して頂きたい。自分の主戦場である農業においても、農薬の登録が医薬品と同じような考え方でなされていることも知ってもらえるとありがたい。

第2章では食品の安全性についての解説がなされている。予備知識なしに一般的に考えられている食品の安全性についての考え方と実際にどうリスク管理をするのかという考え方のギャップに驚くだろう。実際、伝統的に食べられてきたから安全とは言えない、ということが理解できれば、この本の目的はある程度達成できたと思って良いのではないか。

第3章では医薬品と食品の間に位置するものについて。漢方薬(医薬品でもある)、伝統療法、サプリメントなどだ。オーストラリアやEUなどでのそれらの定義や規制について紹介され、日本のそれと比較してある。また、実際にあった事例を紹介し、それについて解説されている。
それぞれの国や地域で歴史や伝統的食生活の違いがあるので一概にどうこうは言えないが、概して日本のものは緩い印象である。もちろん、緩いことは悪い事ばかりではないが、消費者にとっての利益で考えるとどうにも上手く考えがまとまらない。情報提供はしっかりやって欲しいなと思う一方、あまり細かく書いて誰が読むのかなぁ、と思ってみたりする。

第4章では食品の機能表示について、やはり日本の場合と欧米、韓国などの実際の事例も紹介しながら、科学的根拠がないことの危うさについて書かれている。それにしても、この章ではなおさら日本の規制の緩さ、そこへつけ込む「健康本」やマスコミの健康関連記事について危機感を感じてしまう。米国では忘れ去られそうになっているものが日本ではまだはびこっていたりするのである。もちろん、欧米(ひとくくりにしてごめんなさい)の方が酷い場合もあるのだが・・・。

最終章では「食品」の機能についての解説と、それらの機能に対する一般人のイメージと食品系の科学者、技術者とのギャップについて書かれている。そして、著者の考えとして機能性表示よりも科学的根拠に基づく栄養成分表示を提言している。情報提供の正しさとしてはそれがベストなのだろう。しかし、それを実際の効果としてベストにするには社会全体での科学的な視点というものを充実させていく必要があるだろう。

いずれにしても、日本では情報が少ないのを良いことに、マスコミが都合の良いところだけ切り取った報道をしがち(個人的な印象です)なのはどうにかならないかと思っている。それだけに、どらねこさんのブログ「とらねこ日誌」でも言及されていたように、そういった情報発信をする人たちにこの本は読んでもらいたいと思う。

最後に、第4章の終わりに書いてあった言葉を引用して終わりとしたい。
「科学は冷酷なので人の気持ちなど斟酌しません。どんなに一生懸命だろうがどれだけ苦労して開発したものであろうがダメだった仮説は捨てられます。それはある種の人々にとっては受け入れ難く、別の仮説に昇華し損なったりした仮説が幽霊となって彷徨うのでしょう。もちろん幽霊を作っているのは科学ではなく人間の「思い」なのです。」
まさしく科学を科学たらしめているのはこの根本にある「物事を人間の思いを排して確かめるための方法」なのである。そのことだけでも理解して頂ければずいぶん世の中は変わると思うのだけど・・・。

ポール・オフィット著 ナカイサヤカ訳 代替医療の光と闇 魔法を信じるかい?

最近更新が滞っていて、しかも書評しか書いていないが、書かないよりはマシなので、今回も書評です。というわけで、「代替医療の光と闇 魔法を信じるかい? ポール・オフィット著 ナカイサヤカ訳」をようやく読了したので、紹介したい。

この本の著者、ポール・オフィットはアメリカ合衆国感染症とワクチンを専門とする小児科医であり、ロタウイルスワクチンの開発者のひとりとして知られている。このような立場の人がなぜこのような本を出版せねばならなかったのか。

アメリカ合衆国は我が国の消費者庁よりも強力な権限と調査力をもつ(と私には思える)FDA(アメリカ食品医薬品局)という機関があるにもかかわらず、代替医療ビジネスはとても大きな市場を形成しており、無視できない金額がそれらのビジネスに流れ込み、多くの人が標準治療から引き離されることによって健康を損ねたり、悪い場合は命を落としたりしている。こういった事例がこの本ではで生々しく紹介され、その問題点について解説されている。

それぞれの事例については内容をお読み頂くとして、通読して感じたのは普段から思い知らされているとおり「人は信じたいものを信じる」と言うことである。医学も含めた現代の科学体系は思い込みや希望的観測などを排し、客観的事実を追求するための手法や技術を突き詰めてきて、その体系に則っていれば信頼できると考えて良いと思う。
そのことを知っていればそういった体系などから外れ、きちんとした証拠を積み重ねられないものは信頼するに足りないとわかるはずなのだが、科学を体系立てて学べなかった人ならともかく、科学というものに携わっている人でさえ自分の専門分野を外れるとそのことを忘れてしまう人も多いように思える(自分も例外ではない)。

そういう事例を繰り返しわかりやすく解説することで、代替医療ビジネスは決して理不尽に迫害されているわけではなく、標準医療も権力と癒着しているわけでもなく(そういう事例がないとは言わないが)、多くの医者を含む科学者がよりよい明日に向けて努力していることを理解してもらえるように配慮してこの本は書かれていると思う。これ一冊で悩みがすべて吹っ切れるとは言わないが、標準医療に一抹の不安を覚える方、「治せる」と断言してくれる代替医療に魅力を覚える方、そういう方に踏みとどまる一助となってくれるはずだ。

1点残念というか、仕方がないと思うがこの本は訳書であるため文体がやや不自然に感じた。意訳して訳者の自分の言葉で語って頂ければ読みやすくなったかとは思うが、そうすると今度は正確性を犠牲にするというか、著者の意図を正確に表現できなくなる恐れがあるのだろう。それでも、そんな些末なことはこの本の価値を下げるようなことは一切ないと思う。この本はできるだけ多くの人に手にとって頂くべきものだろう。

「醤油本」

というタイトルのムックが発売されているということをTwitterで相互フォローの方から教えていただいた。それに、直接の知り合いではないが結構身近な人が著者に名を連ねているということもあり、仕事にも関わることなので購入してみることにした。

まずは醤油の歴史や地域性について解説がなされており、一般的に知られている淡口、濃口醤油の違いについて、製法から解説してある。一般に関西では淡口、関東では濃口が主流と簡単に思われいている、というか自分はそんな程度の認識だったが、関西でも多いのは濃口で、淡口の比率が関東よりかなり高いというだけだったのは意外だった。

そのほかにも九州で主流の甘口醤油は香川でも結構流通しているらしく、我が家では甘口醤油はあまり使うことがないのでそういうことも知らなかった。

刺身には刺身用の醤油を使っているが、単純に「溜」を使っているものと思っていたし、溜というものは単に濃口をさらに濃くしたものかと思っていたが、それも違った。製法だけでなく、原材料にもいろいろあり、それらがあの豊かな風味の違いを生み出していたというのは非常に興味深いものであった。というか、自分の無知が恥ずかしくなる思いだった。刺身醤油も単に溜醤油というわけでなく、食材によってはその他の醤油が合う場合も多いようだ。

アミノ酸を添加する混合醸造やその他の添加物についても丁寧に科学的に解説してあり、必ずしも本醸造や昔ながらの長期間の熟成が良いばかりではないときちんと述べている点にも好感が持てた。この辺は100巻以上続いている某グルメ漫画とは違うところだ。

それから、醸造用の木桶復活にも触れられているが、これがまた結構身近で行われていることに驚いた。小豆島のヤマロク醤油というところの社長が取り組んでいるようだが、これはもしかして前回の瀬戸内国際芸術祭の折に小豆島の醤の里で見たものがそうだろうか。また、醤の里に行く機会があったらぜひ訪れてみたいものだ。そのときはツーリングもかねて、私がもう一つ運営しているバイクブログの方で紹介できればと思っている。

蔵元紹介のページでは各地の味わい深い蔵元が紹介されていた。それによると、自宅から結構近いところにおもしろそうな蔵元があるようだ。また是非立ち寄ってみよう。そのほかにもこの本には紹介されていない蔵元が近くにあるはずなので、そこも覗いてみよう。スーパーなどで売っているのを見かけたことはないので、直売してもらえるのなら買ってみたいところだが。

ただ一点だけ気になったのは、遺伝子組み換え大豆に関する記述で、決して否定的に書いているわけではないが、気になる人向けに表示で見分けるための知識が紹介されており、少々もやもやする気分にされてしまった。ほんのわずかではあるが、マイナスイメージにつながりそうな書き方をされていたからである。

ともあれ、全体としては非常に読みやすく、内容も好感の持てるものだった。こうした調味料に興味のある方、大メーカーの大量生産品や添加物が気になる方、地域ごとの、地元の醤油事情が知りたい方は是非手にとって読んでみることをおすすめしたい。
ソースでもこういう本が出ることを期待している(某氏に向けて)。

本の出版情報を記載していなかったので、追記しておきます。

齋藤訓之著「有機野菜はウソをつく」について

Food Watch Japanを運営している齋藤訓之さんが「有機野菜はウソをつく」という非常に刺激的な表題の著書を出された。この表題から想像される内容を自分なりに予想しながら読み進めたが、中身は表題ほど攻撃的ではなく、極めて常識的である。それでも、この内容を書籍という形で世に出すのは、たとえば自分が著者であったらできるかというとかなり勇気がいる(シャレではありません)。そういった点で齋藤さんのその意気には敬意を表したい。

第1章は有機農業の定義から、その存在の意義、中身について語られている。その内容は我々農業の技術者、中でも土壌肥料や病害虫関係の技術者にとっては常識ともいえる内容であった。ただ、環境保全型農業の推進を掲げている行政の中で、そこに関わっている立場からすると思ってはいてもなかなか口には出せない。それは以前のエントリーでも述べたとおりだ。なので、齋藤さんのこの本が世に出たことは非常にありがたいのである。

ともかく、自分としても以前から「自然だから美味しいって本当だろうか」や「化学肥料、何が問題なのか」などで述べてきたように農業はけっして自然ではないし、自然だからおいしく、安全安心なのだという考え方には異議を唱えてきた。
その点において、第1章は論点をきちんと網羅してコンパクトに述べており、理解しやすいと思う。ただ、この「理解しやすい」は自分のような農業の技術者でない場合にもあてはまるかどうかは自信がないので、様々な意見が出てくる可能性はあると思う。

第2章は慣行農法の元肥偏重主義への疑問の提示からその性質をよく知らないまま堆肥を使用することなどについての問題点の指摘などが主体になっており、それに対比する形でブドウなどで取り入れられている栄養周期理論が取り上げられている。

元肥に極端に偏った慣行農法の、特に野菜の施肥体系については問題点の指摘については全くその通りだが、現在の日本の農業の現状(狭い農地面積で人手で集約的に行うなど)からすれば労力と収量・品質などのバランスを考えた効率からすると元肥主体が今のところベターなのである。もちろん本書ではそいういった点にも理解を示してはいる。とにかく、技術的な問題点を示しながら、どのように進むべきなのかが直接書いてあるわけではないが、どのように考えていくべきなのかのヒントがそこにあるのではないだろうか。

第3章は有機農業がどのように定着してきたかをメインに、近代農業の歴史みたいな話だった。有機農業に対する認識はほぼ現場の実感に近いと思う。特にコーデックスや有機JAS成立以前は生産者も、流通業者も「有機農産物」に対する認識が甘く、何が有機農産物なのかはっきりしない中でなんとなく良いイメージで世の中に浸透していたのではないだろうか。一般の人はほとんどの場合有機JAS法などはその中身を知らないためにそういう変化を知らないままのように思えるが・・・。

第4章では安全安心は有機であるかどうかではなく、どのような管理体系を組むのか、どういうところに注意すべきなのか重要なのだと述べている。頻繁に自分の畑をみて、植物の状態を細かく把握し、変化を見逃すことなく対応できる人が収量も品質も確保できるのだ。

私も以前から主張しているように、技術のある生産者の農作物は有機であろうとそうでなかろうと美味いものは美味いし、技術のない人のものはたいがいまずいのである。ただ、ややこしいのはこの「技術」にはセンスも含まれるというのが私個人の感想である。鍛えて伸びる部分ももちろんあるが、センスのある人とない人(考え方を整理できるかできないかも含めて)の間には越えられない壁はあると思う。

第5章では、消費者としてどのようなことに気を付けて農作物を選ぶべきかということについて述べられている。調和がとれているものは見た目にも調和がとれている、という視点はなかなか面白い。言われてみればその通りなのだが、説明の仕方についてはこういうやり方もあるのかと感心した。

一点気になったのはチップバーンをカリウムの欠乏としているところである。もちろん欠乏症状として下位葉から出始め、縁が枯れるようになってくるというのも間違いではないが、自分の認識としてチップバーンと言えばカルシウムの欠乏症で新葉から出てくることが多く、葉の先端が枯れこんでひきつれたようになる、というものである。手元にある資料を調べてみたが、チップバーンはほぼカルシウム欠乏が原因と書いてあるが…カリウム欠乏による下位葉の枯れこみもチップバーンと呼ぶ場合もあるかもしれないので、ここはちょっと保留である。

ともあれ、全体としてはおおむね同意できるところが多く、この内容を世に問うてくれたところは大いに評価したい。これだけで流れが変わるとは思えないが、きっかけの一つになってもらえるよう、私も自分の立場から働きかけてみたいと思う。

有機栽培と大規模農業経営は対立する概念? ?有機栽培での窒素供給について?

さて、こないだ某所で有機栽培における窒素供給の観点から、有機栽培は大規模経営には向かないのか、といった話が持ち上がっていたので、そのあたりどういう風にまとまるかは自分でも読めないが、取り上げてみたい。なお、有機栽培の定義からすると農薬の使用についても関わってくるが、今回は肥料成分、中でも窒素成分についての話に絞って論じてみたい。

とりあえず、関連する過去記事を上げておく。

窒素を施用しないで炭素のみ循環させて行う農法がある。その中で、炭素を循環させることの意味についてお話しています。

初期のエントリーで、一文が長く読みにくいですが、とりあえず有機農法の定義について冒頭だけお読みいただければ。

?引用開始?
有機農法と慣行農法の収量の差がこれまで推定されていたより少ないと主張する論文について。内容をよく見ると有機農法だけローテーションしていたりと比較のしかたがおかしいところが多い。窒素必要量の多い作物での有機農法の不利は圧倒的な事実である。収量を環境とは関係がないと主張しているが、それこそが持続可能な農業にとっては重要な問題である。さらに有機農業と大規模工業的農業は対立概念ではない。大規模有機農業も小規模環境農家もいる。そもそも圧倒的に慣行栽培が多く米国では有機栽培は作物で0.8%畜産で0.5%のみ。しかも有機のうち大規模(500エーカー(2 km?)以上)のほうが多い(60/40)。
(ちなみに日本の農家の平均耕作面積が2ヘクタールで500エーカーの100分の1)
?引用終了?

有機農法の定義から言えば、十分な窒素施用量を確保することは実はそれほど難しいことではない。有機質資材由来であれば窒素成分をいくら施用しようともそれは有機農法の範疇になるからである。鶏糞や菜種油粕、米ぬかなど比較的窒素成分量の多い有機質資材はいくらでも存在する。では、なぜ窒素必要量の多い作物では有機栽培は不利なのか?
小規模であれば、さほど不利ではないと思う。必要十分な肥料さえ確保できていればまず問題はない。作物の生育を丁寧に観察し、施肥量などを適切に調節したりなど手間と費用を考えなければ品質収量を確保することは十分に可能だからである。

それが大規模になれば事情は変わってくる。安定した品質の有機質肥料を大量に確保することは難しいし(規模にもよるが、そもそも有機質肥料等の生産や品質が安定しない)、有機質肥料は目的とする作物の窒素量の確保だけでなく、他の養分のバランスも、作ろうとしている品目にとっていいものとは限らないからである。

それでは、よく使われる有機質肥料や堆肥の含有成分はどのくらいだろうか。一覧にしてみよう。一応これらは保証成分として表記されているものをおおよそでまとめてあるので、「なし」となっているものも本当に0%というわけではない。なお、家畜ふん堆肥はおがくずなどの副資材を含まない場合を想定している。

1) 魚かす 窒素5?8%、リン酸5?8%、加里なし
2) 窒素質グアノ 窒素13?15%、リン酸8?9%、加里1?2%
3) リン酸グアノ 窒素1%以下、リン酸27?30%、加里1%未満
4) 菜種油粕 窒素5?6%、リン酸2%、加里1%
5) ダイズ油粕 窒素6?7%、リン酸1?2%、加里1?2%
6) 牛ふん堆肥 窒素2.3%、リン酸4.1%、加里0.4%
7) 豚ふん堆肥 窒素3.8%、リン酸5.4%、加里5%
8) 鶏ふん堆肥 窒素3.1%、リン酸8%、加里4%

(参考:農文協 肥料便覧第5版 伊達昇・塩崎尚郎編著 若干数字は丸めてあります)
これは、含有量での表記なので、植物がすぐに利用できる成分の割合(肥効率という)はこれぞれ違ってくるので注意が必要である。例えば、同じ家畜ふん堆肥でも牛ふん堆肥は炭素率(炭素/窒素の重量比)が高いため、肥効率は低めで窒素で3割程度だが、鶏ふんや豚ふんは7割程度である。

これらを見ていただくと分かるように、肥効率も考慮して有機質肥料でも重量比で化成肥料の1?5割程度窒素成分を含んでいる。鶏糞などであれば10aあたり500?1000?施用すればJAなどが発行している栽培のしおりに掲載されている元肥の窒素量は十分カバーできるということになる。ただ、化成肥料だと10aあたり100?程度で済むところ、その5倍から10倍の施用量が必要になり、労力がかかること、肥料バランスをとることが難しいこと、住宅に近接した農地では臭いなどに配慮が必要なことなど難しい点も多い。

ただし、ならば化成肥料は(循環ということをとりあえず考慮しないとしても)万能かというとそういうわけではない。詳しくは過去のエントリー「化学肥料、何が問題なのか」をご参照いただきたいが、もともと元肥偏重の施肥設計が多いうえに高濃度であるがゆえに過剰に施用してしまうことも多く、植物の根張りなど初期生育に悪影響が出たり、環境負荷が大きくなることもある。

わが国では、有機農業というと環境意識の高い篤農家が手間暇かけてやるイメージが強いが、先ほど述べたようにすくなくとも肥料に関しては(有機JASの規格を満たしていればよいのであれば)、決して大規模経営が不可能なわけではない。何より、ベクトルが全く逆を向いているというわけではないので、そもそも分けて考えるべきものなのである。

それらのことを総合的に考えると、持続的農業を目指すにせよ、やはり有機質資材(肥料)は資源の有効利用や土づくりを考慮した施用とし、それをベースにして化成肥料でバランスをとるというのが理想的であるといういつもの結論になると思われるがいかがだろうか。