アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

新芽を食べる ~地面からにょきにょきアスパラガス~

今回はアスパラガスです。申し訳ないですが、一品目でのご紹介。

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野菜解説シリーズ、今回は少し趣を変えてアスパラガス単独でやってみます。古い分類でユリ科野菜とするとネギ属はすでにやってしまったし、クサスギカズラ科とするとこれしかない。軟化・芽もの野菜という分類でやるとスプラウトやウドなどと同じ括りになってやりにくいので、勘弁ください(^^ゞ。


アスパラガスの分類は、古い分類だとユリ科ですが、現在はクサスギカズラ目クサスギカズラ科クサスギカズラ亜科クサスギカズラ属とされています。日本に自生している近縁種のクサスギカズラがその分類名の由来ですが、野菜として栽培されているアスパラガスの直接の原種ではありません。


野菜として栽培されているアスパラガスにも実は和名があり、オランダキジカクシと呼ばれています。これも日本に自生しているクサスギカズラ科の野草、キジカクシがその由来ですが、それも近縁種ではありますが原種ではありません。


アスパラガスは野菜の中では珍しく多年生で、東北などで行われる掘り上げての伏せ込み栽培を除いて、一度植えれば10~20年程度そのままの株を使用して栽培されます。暑さ寒さ、肥料の濃度障害にも強く、現在では世界中で栽培されています。


原産地は中央・南ヨーロッパで、北アフリカ、西・中央アジアにも自生しています。クサスギカズラ属の植物は300種ほどあるといわれていますが、そのうち食用として栽培されているのはAsparagus officinalis L.var.altilis L.の一種のみです。


野菜としてのアスパラガスはこれも非常に歴史が古く、古代エジプト王朝ではその王たちに高級料理として供されていた様子がピラミッドの壁画に描かれているということです。ただ、当時は自生していた野生種を採取してくるのみであったと考えられています。


紀元前200年ごろのローマ時代になって栽培が始まったとされ、そのころの農業書に栽培の様子が詳細に記録されています。ただ、野菜というよりは薬草として利用されていたと考えられ、利尿作用などが利用されていました。確かに、アスパラガスを大量に食べるとそれらしい臭いのおしっこになることがありますね( ̄。 ̄;)。


ちなみに、アスパラガスの薬効成分として有名なのはアスパラギン酸で、もちろんアスパラガスがその名前の由来ではありますが、たまたま発見されたのがアスパラガスからというだけでアスパラガスに大量に含まれているというわけではありません(と思っていました)。ほかにもっと高濃度の野菜は存在するらしい。


中世になって痛風に効果があるといわれるようになり、ホワイトアスパラを食べる習慣が始まりました。特にルイ14世が好んで食べたといわれ、臣下に一年中食卓に乗せるよう命じたということです(*゚Д゚)。一般に広まったのは19世紀になってからのようです。


日本人にはあまり好まれない(偏見です)ホワイトアスパラの缶詰は19世紀に北アメリカに持ち込まれて栽培が始まり、そこで作られたものが最初ということです。日本でも缶詰用ホワイトなどで北海道の栽培面積が増加しましたが、現在では缶詰用主産地は中国に移っています。


日本への伝搬は最初の記録は江戸時代で1784年の「質問本草」に「石柏(せきちょうはく)」という名前で紹介されています。それ以前にもオランダ人によって長崎などに持ち込まれていましたが、食用ではなく観賞用だったようです。


明治時代になって、北海道の開拓使アメリカから導入した種子を持ち込んだのが栽培の始まりとされています。また、その後アメリカの技師を招いての導入も試みましたが、試作程度に終わったようですね。


大正7年に北海道で下田喜久三がアスパラガスの栽培を始め、ドイツの品種とアメリカの品種の交配から「瑞洋」という品種を作成し、その後直営農場を設けて「日本アスパラガス株式会社」を設立、缶詰ホワイトアスパラの生産を始めました。


生食用のグリーンアスパラの栽培が始まったのは昭和30年代後半からで、消費者の嗜好にマッチし、栽培が容易であることなどから生産が増加していきました。昭和50年代には水田転作によってその面積はさらに広がり、一時のピークは過ぎた感がありますが、全国で6490ha(平成22年度)栽培されています。

 

日本ではほぼ周年供給されているアスパラガスですが、自然に任せていると沖縄を除いて日本の冬では収穫は不可能です。西日本の露地栽培では4月ごろから収穫が始まり、10月中下旬には低温により萌芽が停止します。そこでハウス栽培で保温を行うことにより、1月からの出荷を可能にしています。


東北や北海道、北関東などでは電熱温床などを用いた伏せ込み栽培を行っていて、11月頃に掘り上げた株を電熱温床で加温することによって年内出荷を行っています。それでも国内生産では端境期ができるため、11月ごろには中南米産のものが輸入されています。


日本に自生しているクサスギカズラ科の野生種は4種あり、先ほどから紹介しているクサスギカズラ、キジカクシのほかタマボウキ、ハマタマボウキがあります。キジカクシ、タマボウキは山間地などで見られますが、クサスギカズラ、ハマタマボウキは海岸沿いなどに分布しています。


それらのうち、キジカクシの新芽はアスパラガスと同じく食用に供されることもあるようですね。また、クサスギカズラの塊根は天門冬という生薬で、漢方薬に使われるようです。ただ、クサスギカズラ科の野生種はレッドデータブックに掲載されいていることが多いので、採取は控えてくださいね(^^)。

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ちなみにずいぶん前の話ですが、このブログ記事の内容と同じものをTwitterでつぶやいていたら、アスパラガスのアスパラギン酸が多くない、のところでフォロワーさんから次のようなご指摘をいただきました。

 

疲労回復効果を期待するほどではないけど、まぁまぁ多いみたいですね(笑)

じつは花を食べている。イチゴは果物?野菜?

まずはイチゴの分類について

イチゴは果物では?と思われる方もおられるかもしれませんが、日本の園芸における分類では草本性作物(樹木にならないもの)は野菜に分類されます。なので、メロン、スイカなども野菜ということになります。


現在栽培、流通されているイチゴはほぼバラ科バラ亜科オランダイチゴ属(Fragaria ×ananassa)です。ラズベリーブラックベリーなどのキイチゴ属や日本に自生するキジムシロ属のヘビイチゴは別種です。なお、ヘビイチゴが有毒であるというのは俗説で、食用可能だが食味的に食用としてはあまり適しないということです(食べたことないけど)。


現在の栽培種であるイチゴは、他のオランダイチゴ属の野生種に比べてはるかに大果で多収なんですね。しかし、どのようにしてこのような栽培種が成立したのかは明確な記録はありません。わかっているのは大果系のチリ種と北米産のバージニア種がフランスで交雑してできたらしい、ということまでです。


ともあれ、栽培種のイチゴは8倍体で、一般的な野生のオランダイチゴが2倍体であることから考えると、果実や植物体の大型化にはこの倍数性も関わっていると思われますが、栽培種が成立した時代性から考えて染色体の人工的な倍化は不可能で、自然倍化したものが選抜された結果なんでしょうね。

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イチゴの原産地、来歴は?
近代的栽培種の片親となったバージニア種は、16世紀ごろから北米への探検者や入植者によってヨーロッパへ持ち帰られ、それまでのヨーロッパ在来種に比べて大果で鮮やかな赤が受け入れられ、栽培品種までに育成されるようになりました。


チリ種は、ヨーロッパ(フランス)の気候ではなかなか開花せず、開花しても持ち帰られた株はすべて雌株だったため花粉がなく結実できませんでした。そこでバージニア種の雄株を混植してその花粉で結実させることにしたようです。


その時、収穫しきれなかったりしたために落果したものなどから落ちた種子(痩果)が発芽し、自生していたものから今までになく生育が旺盛で大果の株が見いだされ、種として固定されて近代栽培種になったのではないかと考えられています。


このようなことから、近代栽培種の起源は1730~50年ごろのフランスブルターニュ半島プロガステル町と考えられています。日本ではオランダが起源と考えられていて、オランダイチゴ属という名前が付けられていますが、これは江戸時代にオランダを通じて導入されたことから生まれた誤解のようですね。f:id:gan_jiro:20140406085649j:plain


日本では
日本におけるイチゴは、日本書紀に「いちひこ」の記述が見られ、キイチゴヘビイチゴなどを総称したものと思われます。また、枕草子には「いちご」の記述が2か所存在します。なお、日本にもヘビイチゴのほか日本海側を中心とする高山地帯になんと「ノウゴウイチゴ」というオランダイチゴ属の自生種があります。


我が国への園芸作物としての導入は、文久の初めごろに川崎道民が遣米・遣欧使節団に随行した際に園芸作物の種子を数種購入し持ち帰ったのが始まりともされています。これを1863年に伊藤圭介が翻訳して文書にしたのが確実な導入の最古の記録と言われています。


我が国で初の営利栽培としては、1893~94年頃に東京や横浜で始まったとされていますが、当時は外国の珍しい果物という認識で、一般には普及しませんでした。また、欧米ではいくつかの栽培品種が育成されていましたが、当時の輸送経路では苗を持ち帰るのが困難で、導入は進まなかったといいます。


そこで、福羽逸人はフランスから栽培種の種子を購入し、そこから育てた実生苗から1898年に選抜育成したのが日本初の栽培種「福羽」です。この福羽は長きにわたって日本の主要品種となり、水田裏作の露地栽培や石垣栽培などに用いられました。


その後、イチゴの育種は国をはじめ、各県の関係機関や企業、また個人によって盛んにおこなわれるようになり、品種登録出願件数は21世紀に入って168件となっていますが(平成28年8月1日現在)、自分のような栽培指導を生業としている人間でもそのすべては到底把握できていないほどなんですね。


営利栽培が始まった当初は露地栽培が多く、イチゴの旬と言えば初夏でしたが、1950年代後半からプラスチックフィルムを用いた施設栽培(ビニールハウス)が増加し始め、また、休眠が浅い品種を利用して秋に花芽を分化させ、年内に収穫を開始して初夏まで取り続ける促成長期栽培が始まりました。


現在ではイチゴ出荷量のピークは全国的には1~5月になっていて、もともとの旬である初夏にも出回ってはいますが、需要はクリスマス~正月商戦に高まる傾向になっています。果実品質でも、株がしっかり出来上がったころで、低温でじっくり着色する1~2月が食味もよく、現在では旬と言えるかもしれないですね。


ちなみに、日本のイチゴ生産量は2013年の統計で世界でも10位となっていて、大きな産地であるといえますが、そのほとんどが家族労働による施設園芸に支えられていて、労働生産性が高いとは言えません。とはいえ、独自品種も多く、独特の発達を遂げているのでイチゴ生産大国と言って差し支えないでしょう。

葉っぱを食べる ~煮物、炊き物、炒め物~

今回は菜っ葉類をお送りします。それにしても、アブラナ科は分類が本当に難しい。ほとんどの花はナバナとして食べられるし、葉っぱも同様。後は根さえ太れば・・・。というわけで、「たまたま」葉を食べられるようになったアブラナ科アカザ科のほうれん草のお話をお届けします。

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それでは今回の菜っ葉類ですが、はじめはこれも「アブラナ科」の括りでやるつもりでしたが、そうするとホウレンソウなどあぶれるものが出てくるし、それらはどこで取り上げるの、ちょっと難しいなということになるのでそれらも含めて「菜っ葉類」ということでやりたいと思います。


まずはアブラナ科のツケナ類から取り上げてみましょう。いわゆる非結球アブラナ科葉菜類と呼ばれるものになります。これらは形態がさまざまに分岐し、非常にたくさんの品目、品種がありなかなか個別には取り上げにくいです。なので、まとめての話になることをお許しください。


先ほども言いましたが、全品目取り上げるととんでもないことになるので、代表的なものをしかもまとめて取り上げてみましょう。よくスーパーなどで流通しているものとしてはコマツナ、キョウナ(ミズナ)、ヒロシマナ、(大阪)シロナ、ノザワナ、タカナ、中国野菜のチンゲンサイ、タアサイあたりになると思います。


さて、例によってアブラナ科ツケナの栽培種は野生種(原種)からどこで成立したのかは明らかにはなっていません。他のアブラナ科野菜同様交雑の容易さ、表現型の多彩さ、栽培種が逸出して容易に野生化することなどから、その来歴を追うことが非常に難しいからです。


ツケナ類の野生種は、北ヨーロッパ各地にみられることからこれらが搾油用あるいは食用として利用されるようになり、そこからツケナ、カブが分岐されていったものという推測がなされていますが、近東や中央アジアが起源であるという説もあります。

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提供元:フリー写真素材ぱくたそ

 

ツケナ類がヨーロッパ起源であるとしても、そこで葉菜類として利用されることはあまりなく、唐の時代以前に中国に導入され、そこで菘(シュウ、スズナ=カブ?)として利用され、ここからハクサイなども分化したようです。いずれにしても、栽培が成立したのは中国であるといえます。


タカナについては若干事情が異なり、紀元前からローマやギリシャで栽培されていて、葉は煮食用に、種子は消化剤や解毒剤として用いられていたようです。これが中国に導入されてから品種の分化が起こり、アジア全域に広がっていきました。日本でも多様な品種分化が起こっています。


ツケナ類が日本に導入された来歴等は明らかになっていません。しかし、古いものであることは間違いなく、古事記に「菘」の記載があり、吉備国の産地でとれたものを羹(あつもの=熱い汁もの)に用いたとしています。また、本名和草にも多加奈(タカナ)と訓じた記載があります。


タカナはカラシナの変種ともされ、古くから日本に導入されており、「和名抄」にもその名が見られます。高菜漬けは全国各地に広がっており、近畿地方ではめはりずし、九州では阿蘇の高菜飯や現代では福岡のとんこつラーメンのトッピングなどに利用されいています。


タカナの日本導入もツケナと同時代と考えられ、和名抄や本名和草に加良志、芥、辛菜や多賀那、宇岐菜などの名で記載されています。


ちなみにタカナは香川では「マンバ」と呼ばれ、それを甘辛く炊いた郷土料理を「マンバのけんちゃん」と呼ばれ、親しまれています。大根の葉を甘辛く炊いたものが好きな人は是非試してみてくださいね。

www.sanuki.com


ただ、カブのところでも言及しましたが、東北地方等のカラシナ、タカナなどには西欧系品種の特徴を残した品種が古くからあり、現在も山間地などにわずかながら残っている例もあります。このことから、中国からばかりでなく、シベリア経由で導入されたものもあるのではないかと考えられています。


ともかく、ツケナ類は導入後日本でさまざまに分化し、また後年導入された品種もあり、多様な品種群を構成しました。タカナは江戸時代の農業書ではツケナとの区分が明確にされ、葉を掻きとって食べる端境期の葉物とされています。


その後明治に結球ハクサイが導入され、大正に入って栽培面積が増加してくるとツケナの面積は減少していきました。この中で失われた在来品種もあったことは惜しいことですね。


さて、次に科を変えてホウレンソウです。ホウレンソウはアカザ科、あるいはヒユ科アカザ亜科とする分類もあります。原産はアフガニスタンなど中央アジアで、ペルシア(現在のイラン周辺)では古くから栽培されていました。


中国には7世紀ごろ回教徒によって伝播されたと考えられています。そこで東洋種の品種群が発達し、日本にはかなり遅れて導入され、17世紀の文献にその名前が見られます。これが現在の日本における在来種となりました。


ヨーロッパには同じく回教徒の手でイランからアラビア、北アフリカを経て11世紀に導入され、まずスペイン、その後ヨーロッパ各国に広がったと思われます。ドイツでは13世紀、イギリス、フランスでは16世紀から栽培の記録が見られます。


ヨーロッパでは、オランダで特に品種育成が進み、採種地として知られるようになりました。その後アメリカには19世紀から20世紀初頭にかけて導入されました。


その後アメリカでは缶詰加工の発達、栄養価が高いことなどから普及が進み、栽培が拡大しました。日本ではホウレンソウの缶詰はあまり見かけませんが、アニメのポパイとのタイアップでよく知られてはいますよね。


日本でも昭和になってから栄養知識の普及とともにビタミン類や鉄分などのミネラルの補給源として栽培面積が増大しました。当初は西洋系品種を春~夏播き、東洋系品種を秋まきにすることが標準的でしたが、現在ではその交雑系、同様にF1が育成されています。


「菜っ葉類」は以上です。なんかちょっと半端な気はしますけど、野菜類の分類は一般にわかりやすいようには難しいのでご勘弁を(;´Д`)

葉が玉になる ~アブラナ科結球野菜~

数年前、Twitterで野菜の来歴を解説していく、というシリーズを展開したことがありました。それらをブログに転載していくというのをやろうやろうと思いながら、トゥギャッターにまとめられてるので良いかな、とやり過ごしてきましたが、ネタが無いときはこれをぼちぼち薦めていこうということにしました。で、今回はアブラナ科結球野菜のツイートをまとめ、修正を加えてお届けします。

 

キャベツ畑のイラスト

まずはキャベツから。

キャベツはブロッコリーやカリフラワーと同じく、イギリスから地中海にかけて自生するヤセイカンランおよびそこから育成されたケールが起源です。石灰質の多い地中海沿岸に多く自生していることから石灰を好む性質であることがわかりますね。

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2001年とあるので、試験研究機関で土壌肥料関係の仕事をしていたときの写真。土壌溶液を採種し、環境への流亡を計っていたのだっけ…。まだ30代半ばか。


古代ローマギリシャで古くから利用されていたことはブロッコリー等と同じですが、ヨーロッパで園芸種として栽培されるようになったのは9世紀ごろといわれています。そこから16世紀にはカナダに導入され、その後アメリカに導入されました。17世紀からアメリカで栽培されいていた記録が残っています。


日本には明治初期に導入され、明治30年ごろには自然交雑等により分化した品種群からの選抜が行われました。大正に入って栽培面積も増加し、さらに昭和初期にかけて国内での育種も本格的に行われるようになりました。


その後第2次大戦などで育種も栽培も停滞していましたが、戦後、消費の拡大とともに需要が増加して、作型分散によって周年出荷が行われるようになりました。育種技術も発達し、自家不和合性を利用した一代雑種(F1)も作出されて、現在ではF1が品種の主流になっています。

 

野生種は1年生で低温感応なしに花芽分化しますが、栽培種はほぼ2年生で低温に遭うことで花芽分化して抽苔(花芽が伸びること)します。キャベツはある程度栄養生長(花芽を作らない生長)してから結球し始めるため、定植が遅れて小さいうちに低温にあってしまうと結球せずに抽苔してしまいます。


日本への導入、普及が古かったため様々な地域・作型に適応した品種が多数作られました。ちなみに普通に緑色のキャベツはすべて同一種ですが、ムラサキキャベツ、サボイ(縮緬甘藍)は変種となっています。


ちょっと脱線。札幌大球甘藍について。


札幌大球甘藍は札幌近郊で作られる大玉品種で通常の5~10倍になり、10㎏を超えるものも収穫されます。主に加工用ですが、札幌では普通の家庭でも購入され、ニシン漬などに利用されると聞いています。しかし本当にそんな大きなキャベツを一般人が買うのでしょうか?持って帰るだけでも大変だと思いますが。

 

ということをつぶやいていたら、Twitterで相互フォローのアサイさんからインスタグラムのリンクをご提供いただきました。アサイさん、ありがとうございます( o'∀')o_ _))ペコ
アサイ @poplacia Fig1. 北海道の一般家庭において購入された札幌大球(キャベツ)と2歳児とのサイズ比較

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アサイ @poplacia Fig.2 消費目的で購入された札幌大球(キャベツ)と一歳児(当時)とのサイズ比較 

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さらにハボタン。

その形態が結球しないキャベツに酷似しているハボタンはキャベツの変種というよりケールから育成されたと思われます。江戸時代の貝原益軒の著書「大和本草」にはおそらくケールと思われるオランダナという野菜が紹介されており、それが観賞用のハボタンのもとになりました。


白菜のイラスト(野菜)

で、ハクサイへ。

ハクサイは北・東ヨーロッパやトルコ高原に自生するブラシカ・ラパがその起源であり、もともとは不結球性でした。これがアフガニスタンチベット、またコーカサスやモンゴルを経て栽培作物として中国へ導入されたと思われます。


わが国には明治初期に中国(清)から種子が持ち込まれ、栽培がはじめられたが初めのうちはなかなか結球せず、普及しませんでした。同時期に清国が東京の博覧会に出品したハクサイの株を愛知県が譲り受けて研究し、10年ほどかかって結球に成功しました。その後愛知県下で栽培が始まりました。


そのほかにも19~20世紀初頭にかけて別ルートで茨城、宮城、長崎などにいずれも清国から導入され栽培されていましたが、やはり結球しないなどの理由で栽培が中断していました。その後、愛知や宮城などで安定して採種できるようになり、栽培が広がるようになりました。


ハクサイが急激に普及し始めたのは、日清、日露戦争などの後、経済的な発展があったことも要因であるが、それらの戦争で中国などを訪れた兵士たちがハクサイの存在をそこで認識し、国内に紹介したことも要因だといわれています。


同じ結球するアブラナ科野菜でもヨーロッパで普及し、品種が分化したキャベツと違い、ハクサイは中国を中心としたアジアで発達したという違いが面白いですね。ハクサイは中華料理のほか、韓国のキムチ、日本の漬物、鍋物などアジア料理には欠かせない存在になっています。

ミルフィーユ鍋のイラスト
ハクサイの仲間には結球しないものもあり、丸葉山東、切葉山東(ベカナ)などがそれにあたり、大阪シロナやマナ、広島菜などもハクサイの血を引きますが、これらはいずれ結球しないアブラナ科葉菜類として取り上げたいと思います。

 

番外編。ハクラン。


最後に、キャベツとハクサイの雑種であるハクランについても取り上げておきましょう。通常、キャベツとハクサイは染色体数が違うため、交雑しないかしても一代限りになります。そこで、薬剤処理等によって染色体数を倍加させて交雑して、生殖能を保持させる方法でまず作出されました。


その後、1998年に石川県の農業総合研究センターで細胞融合による体細胞雑種でもハクランが作出、育成されました。こちらをバイオハクランと呼んで区別する場合もあります。


ハクランはその名のとおりキャベツのようにもハクサイのようにも料理に使えます。用途も広く、食味もよいとされますが(私は食べたことがありません)、なぜか普及していません。もし、見かた方がおられたら、ぜひ試食してその結果をご報告いただけると非常に嬉しいです(*´∀`)。

 

というわけで、結球するアブラナ科野菜についてはこの辺で勘弁しておいてやる。・・・いえ、勘弁してください(爆)。

平成の農業を振り返ってみて

ずいぶん更新頻度が落ちてしまっていますが、とりあえず生きていることの証明のために何か書かねば、ということでつらつらと思いつくままに。

 

昨年一年間を通して、またその少し前からの感覚として、やはり温暖化の影響を感じざるを得ません。ここのところ暖冬傾向が続いていることもありますが、それより夏季の暑さが苛烈を極めてきているというのがより実感されるのです。

 

とりあえず今回はデータを示すことなく実感だけのお話しをしますが、特に野菜の露地栽培はその体系や考え方を転換せねばならない時期に来ていると思われるのです。

 

まず夏の育苗が難しくなってきています。瀬戸内地域では秋冬野菜の定植は9~10月に行われるため、育苗は7~9月ということになります。梅雨が明ければいきなり連日35℃オーバーの日が続き、雨よけ育苗施設ではなおさら気温が上がりがちです。とてもではありませんが、秋冬野菜の育苗・生育適温とは言えません。このため、品目によっては根の活性が落ち、適切に施肥を行っているのに要素欠乏の症状が出る、という事例も散見されます。

 

また、昨年は比較的ましだったんですが、ここ数年は毎年秋冬野菜の定植及びそのほ場準備の時期に定期的に強い雨が降り、定植がずれこんだり苗がダメになってしまったりすることも多々ありました。一昨年などは通常9月下旬~10月上旬に行われるニンニクの定植が進まず、11月にずれ込んでしまった生産者も多数おられました。ブロッコリーなどでは、せっかく計画的な植付で作業の分散を図っているのに収穫が一度に集中してしまい、適期収穫ができずに品質や収量が確保できないこともありました。

 

西日本の産地では一部地域で生産が伸びているアスパラガスですが、全国的には減少傾向にあります。特に露地での栽培が壊滅的です。全体的な気温の上昇と短期集中型の降雨により、梅雨~夏季にかけて発生が多い茎枯病という病気がより多発するようになりました。この病気はアスパラガスにとっては致命的で、めったなことでは株が枯れてなくなってしまうことのないアスパラガスを全滅させてしまうこともあります。想像も入っていますが、東~北日本で露地栽培の面積が減ってきているのはこの病気を防ぐのが難しくなってきているためだと個人的には思っています。

 

ということを考えれば、技術的な高温対策で従来品目の課題を解決していくと同時に現在の気候状況に対応した品目や作型への切り替えも考えていかねばならない時期に来ているのかもしれません。自分に残された時間はそれほどありませんが(人生はまだまだ残っていますよ)、少しでもそのあたりの課題を解決に近づけていけたらな、と思っています。

 

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写真は、こたつから半身を出して人間のような寝姿のミルさん。

リウマチ性多発筋痛症という病気について

今回のエントリーは農業とは関係ないですが、あまり知られていない病気を注意喚起という意味を含めて拡散したいと思って記事にしました。

 

今年の3月に、ひどい両肩の関節痛に見舞われ、その後両股関節、太ももやふくらはぎの筋肉痛、微熱や倦怠感などもある体調不良に陥り、4月中はまともに動けない日々が続きました。初めは整形外科に行き、レントゲンやその他の診察を行った結果、五十肩の類だろうと診断され、痛み止めと湿布薬が処方されました。しかし、それらの薬は全くと言っていいほど効果がありませんでした。また、掛かりつけの内科で血液検査をしてみたところ、炎症と白血球の数値は高かったものの、リウマチの項目はすべて-(マイナス)で原因は不明のままでした。この段階では先生は自己免疫性疾患の一種だろうとおっしゃっていました。

関節痛のイラスト(首)

連休前後にようやく効果のある薬が判明し、何とかまともに動ける程度には回復しましたが、原因不明のままで治療法もはっきりしない状態で過ごさねばならず悶々とした日々を送ってきました。秋になってからようやくそのことを、離れて暮らしている母親に話したところ、自分の症状にそっくりなので同じような専門医に診てもらえと強く勧められました。

真剣に子供を叱るお母さんのイラスト(躾)

彼女は数年前からリウマチに苦しんでおり、やはり全身(特に身体の先端部)の痛みでまともに動けない状態でした。そこから、いろんな病院に掛かるうちにようやく自分に合った治療を見つけてもらい、今では普通に日常生活が送れるくらいに回復しています。ですので、私の病気もそれに近いものではないかと考えたわけです。結果的には母の判断はほぼ正解でした。

 

そこで、母の勧めに従っていつも見ていただいている内科の先生から紹介状を書いてもらい、リウマチの専門医がいる病院で診てもらうことになりました。その病院は以前から心臓でお世話になっている病院で、人間ドックもそこでいつも受けているため、データもそろっているだろうとそちらに行くことにしたのです。

 

そこで、それらのデータや新たに行った検査の結果、「リウマチ性多発筋痛症」という病気であることが判明しました。リウマチ、と名前がついていますがリウマチとは別の病気で、根本的な原因はリウマチと同じと考えられているようですが、リウマチ同様本当の意味では原因不明とされています。ともかく、雑にまとめると自己免疫性疾患の一つで、自分の免疫システムが自分の組織を攻撃して炎症などが起こる病気ということです。


リウマチとの違いは、リウマチが身体の先端部分(指の関節など)に出やすいこと、関節の内部組織を冒され、変形することなどに対し、リウマチ性多発筋痛症は身体の中心に近い関節(肩や股関節など)に症状が出ること、関節そのものではなく関節近傍の筋組織に炎症が出ることがその違いです。

 

掛かりつけの内科で効果のあった薬とはいわゆるステロイドの内服薬でした。先生が症状や血液検査の結果からしておそらくリウマチとは違うとは思うが、万が一ということもあるのでとステロイドの点滴をしてくださったところ、劇的に効果が出たのです。両腕が肩の高さより上がらなかったのが点滴の翌日には痛みは残っていたものの普通に動くようになりました。

ベッドで点滴をしている患者のイラスト
それから、ステロイドの内服薬による治療が始まり、日常生活には支障がない程度に回復し、趣味のオートバイにも乗れるようになりました。しかし、半年経って秋になっても痛みは残り続けたのです。

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そのあたりでようやく母に現在の病状を話したわけですが、母は自分の経験からリウマチの専門医による診察が必要と考え、私にやいやい言うようになりました。私自身は一応服薬で効果が出ていたのであまり気が進まなかったのですが、母を安心させたい気持ちで受診することにしましたが、これが正解だったと思います。いくつになっても、母親ってありがたい存在ですね。

叱っているお母さんのイラスト

さて、リウマチ科(この病院では内科でしたが、整形に含まれる病院もあるようです)の先生はこれまでの服薬による効果や再度行った血液検査、レントゲンや超音波での肩の炎症診断などを総合的に判断して「リウマチ性多発筋痛症で間違いないと思います」と診断されました。リウマチ性多発筋痛症については、この結果が出ればこの病気であると確定できる項目はなく、同じような症状が出る他の病気の可能性を全部つぶしたうえで判断されるとのことでした。ほかで最も心配されるものとしては「癌」だそうですが(これを言われたときはドキッとしました)、その可能性はほぼないでしょうということです。

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というわけで、これで治療方針がはっきりしました。ステロイドの内服による治療も間違いではなかったのですが、リウマチ専門の方から診ると、ステロイドの長期服用による副作用の方がリスクが大きいとのことで他の免疫抑制剤を使うことになりました。ただ、ステロイドホルモン剤なので、急にやめると体内のホルモンバランスが崩れ体調が悪化する可能性が高いので、現時点ではステロイドによる炎症抑制をしながら新しい免疫抑制剤で炎症の再発を抑え、徐々にステロイドは減らしていく、という方針での治療となりました。

 

今回の治療から使っている免疫抑制剤にも様々な副作用があり、病院から渡されたパンフレットを見ると恐ろしくなることがたくさん書いてあります。ただし、過去に見られた副作用はほぼすべて網羅しておく必要があるだけで、頻度としては一部を除いてそれほど高くないとのことですし、今のところそれらの症状は見られていないので、それほど心配することはないようです。ただ、「体毛が薄くなる」という項目だけはどうしても見過ごせないので、リアルで私に会うことがあったら、頭頂部ばかり見つめるようなことはせず、普通に接してくださるよう伏してお願いします(笑)

 

念のため、信頼できると思う医療関係サイトの記事をリンクしておきます。

https://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/kogen/about/disease/kanja02_18.html

これを見ると、抑うつ症状とか微熱とか、関節痛と合わせて数年前から思い当たる点がいくつかあります。きつい運動もした記憶がないのに腰痛やふくらはぎおよび大腿部の筋肉痛を感じたり、体調がよくなったり悪くなったりが結構あり、今年春先に急激に悪化しただけで、ずっとこの病気にかかっていたのかもしれません。また、血栓ができやすくなるという記述もありましたので、心筋梗塞もこの病気が引き金になった可能性も考えられます。ともあれ、長いことしんどい思いをしていて、ずいぶん損をした気分です。ずっと内科にはほかの病気で通い続けていて、時々関節痛の症状を訴えていたのに…専門医でないとなかなか見抜けないようですね。なので、原因不明で鎮痛剤の効果が出ないような関節痛に見舞われたときは、ぜひリウマチ科が設置されている病院を受診されることをお勧めして、今回のイレギュラーなエントリーの締めくくりとします。

 

「農地を守らねば」が農業経営の足かせになっている場合がある

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※写真はスイートコーンです。記事本文とは直接関係ありません。


近年、農業労働力は減少傾向にあり、また高齢化も進んでいます。よく言われる紋切り型の文言ですが、農林水産省の農業労働力に関する統計>農業就業人口及び基幹的農業従事者数を参照すると平成22年から30年にかけて一貫して減り続けており(260.6→175.3万人)、65歳以上の割合は平成27年からではほぼ横ばいではあるものの22年と比較すると微減となっています。

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そんな中で、筆者周辺の地域では担い手と呼ばれる基幹的農業者は主に収益向上のために大規模化を志向する場合が多く、そういった農業者に地域の農地が集約されていく傾向があります。おそらくこれは、全国的にもそういった傾向にあるのではないかと思います。

 

私の実感としては、農外から参入して法人経営志向の農業者については、集約した農地は収益を上げるためにいかにうまく様々な品目を組み合わせて回していくかを重視して、効率の悪い農地は無理に何かを作付するようなこともなく、最低限の管理だけ行って全体の効率が上がるように作付計画を組み立てていくというような考え方をします。

 

ところが、昔から地域に根付き、その中で中心的役割をはたしてきた農業者については、地域を護らねばならない、という意識が強いように思われます。もちろんそれは大事なことで、手入れをせずに荒れてしまった農地は、再び農作物を作付するためには膨大な労力や時間が必要になってきます。

 

なので、農地面積の維持を図るために管理を続けることは間違いなく必要なのですが、地域を護る意識のために、「地域での熱心な人」に高齢化などで農業を続けることが難しくなった人などの農地が集約しすぎている傾向が見られるのです。そして、その「熱心な人」は○○さんから預かったものだから、と丁寧な米麦栽培を行うわけです。それ自体は非常にいいことです。ですが、当地域では「熱心な人」というのは米麦以外にも野菜などの園芸品目も手掛けている場合が多く、ここに落とし穴があります。

 

米麦は正直言って、中規模程度では儲けは非常に少なくなり、それだけでは個人で維持していくのは非常に困難です。10aあたりの水稲での儲けはせいぜい一作2~3万程度で、とある経営指標では5万というのも見かけますが、たぶんそれは農業機械の減価償却は入っていないのではないでしょうか。これが露地野菜などになると、土地利用型に近いブロッコリーでも10~20万くらいにはなります。面積当たりの収量が大きい果菜類になると100万を超えると思います。もちろん、野菜類と水稲では労働時間が大きく違うので、時給に換算すると印象が変わってくると思いますが。

 

ともあれ、地域の担い手が知り合いなどに頼まれて水稲の作付面積を増やし、借り受けた以上はという貸主に対する義務感や周囲の目を気にすることなどできちんと管理せねば、となります。このため、先ほど述べたことの繰り返しみたいになりますが、とりあえず農地が維持できてさえいればいいところを隅々まできっちり苗を植え、除草管理もこなし(畦畔の除草は持ち主がすることが多い)、ここに労力が結構割かれるようになります。

 

この時、担い手の方の野菜品目などのキーポイントになる管理が田植えや稲刈りの時期に重なると非常につらい結果を招くことになります。特にキュウリやナス、オクラなど果菜類の主要害虫の防除時期と田植えや稲刈りが重なり、防除が遅れて収量や秀品率の低下を招いている例を何度も見かけました。これに関しては指導を行う際には十分に注意を呼び掛けてはいますが、気候や水配分の関係から水稲の作業をずらすことができないことも多く、頭の痛い問題です。収益でいえばはるかに大きい野菜品目を、積極的にやりたいわけでもない水稲の管理に追われて十分に手入れできないのです。

 

ともあれ、地域によりますが園芸品目と米麦の担い手が同じ人のところに集中していることが問題になっていると思います。担い手としてはビジネスとして割り切り、貸主や地域の人たちも農地として維持さえできていれば多少のことには目をつぶる(もちろんきれいに管理できればそれに越したことはないです)など意識を変えていかねばならないのでしょう。