アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

「基準値を超えたが摂取しても健康被害はないと思われる」とは?

さて、ここをはじめてから3題続けてバイクの話ばかりしている(こちらでは削除済み。もう一つのブログ、蒼天快走記をご覧ください)。それでいて表題が「アグリサイエンティストが行く」なのだから、そろそろアグリサイエンティストらしいことも書いておかないと格好がつかない。そこで、という訳でもないが今回は残留農薬についての話をしてみたい。(とは言いながら、アグリサイエンティストと名乗るのは相当に気恥ずかしいものがある。しかし、そう呼ばれてもふさわしい自分になれるように、このままの表題で自分にプレッシャーを掛け続けたいと考えている)

 

三笠フーズ事故米を利用した詐欺事件をはじめとして、それ以外にも生産者の勘違い、手違いなどによって農薬の残留した農作物が流通するという事件がたびたび新聞を賑わしている。そのたび「消費者の安全・安心が脅かされている」だのといった報道がなされているが、本当にそうなのか。

 

新聞紙上で、「基準値の○倍の農薬が残留したので自主回収」などと書かれると、基準値というものがいかなるものか知らない人が不安になるのは仕方がないことだろう。それでいて、「摂取しても健康被害は起こらない」ととってつけたように書かれても「じゃあ安心だね」とはなるまい。

 

基準値というものがどういうものなのか、その決定に至るまでにどういう手順が踏まれているのか、それを知らなければ基準値越えがどういう意味を持つのか考えろ、心配するなと言ってみたところでどうにもならない。そのあたり、一般向けマスコミでも十分に解説してもらいたいところではあるが、その手の報道があるたびに1から10まで解説するわけにもいかないだろう。それに、一般紙であまり詳しく解説しても読まない人も結構いると思う。

 

話は横道にそれるが、だからこそ一般教養が必要なのであり、そこから生まれる科学的思考やリテラシーが正しい道を選択する道しるべになるはずで、実生活に役立たないから学校の勉強は必要ないという考え方でいると人生においてずいぶん損をすることになる。受験テクニックを磨くことの是非はとりあえず措いておくとしても、自分の頭で判断するための最低限の教養を身につけるのが義務教育であり、画一的な教育だという批判もあろうが、その最低限の一定レベルを実現するためには画一的なカリキュラムもある程度やむなしと私は考えている。

 

閑話休題

さて、では農薬等の残留基準値はどうやって決められているのか。なるべく簡単に解説してみたい。

 

まず、この程度なら生涯にわたって毎日摂取しても大丈夫な量(ADIといい、単位は体重1kgかつ1日当たりのmg)が決められる。これは、動物実験で得られた無毒性量(急性毒性だけでなく慢性毒性や発がん性、子孫への影響)に安全係数の100を掛けて(というか量そのものを100で割る)算出される。それを、各農作物を普通の人が1日に食べる量からの割合で決めるのだが、すべての農作物にその数値を適用したのでは、複数の農作物を摂取した際にたまたま同じ農薬が使われていた場合ADIを超えてしまうことも考えられる。そこで、各品目の農作物にそのADIを割り振り、たまたま同じ農薬が使われていた農作物を複数食べても残留農薬の摂取量がADIを越えないように考慮され、品目ごとの残留基準値とされるのである。

 

であるから、そもそもADI自体が毎日摂取して人体に影響のない量である上、複数の品目を食べて、それらにたまたま同じ農薬が使われていてそれぞれが基準値ぎりぎりということは確率的にかなり低いと思われることから、1品目で残留基準値を超えた食品を食べたところで健康に影響するとは普通に考えてありえないといえるだろう。

 

つまりは、新聞などで書かれている「残留基準値を○倍超えているが、ただちに健康影響はない」というのはこういったことが根拠となっている。中国天洋食品の冷凍餃子事件のように、味に影響するほど農薬が残留しているのとはレベルがまったく違う。もし、件の事故米が学校給食に混入していたとして、食べてしまったものは仕方がないし、心配することはまったくないレベルである。

 

では、三笠フーズ事故米の何が問題なのかというと、あれは消費者の安全(安心は別として)を脅かす事件なのではなく、純粋に法律上の問題、そして詐欺事件なのである。食品としては(法律上)使えないということで格安で仕入れたものを、流通経路を複雑化することで食品用に化けさせ、高値で食品メーカーに売りつける、まさに詐欺そのものである。しかも、間に実体のないペーパーカンパニーまで噛ませているのだから、相当悪質だといえる。多くの酒造メーカーや中小の菓子製造業者に甚大な被害をもたらし、その責任は重い。個人的には、三笠フーズには表舞台から退場していただいても結構だと思っている。もちろん、監督者としての農水省にも重い責任はあるが、それはまた別問題である。

 

これに対し、生産者の勘違いなどで若干の基準超過をしてしまった農作物については、安易に回収に走るのもどうかと思う。そうは言っても、一般消費者のリテラシーが十分であるとはいえない現在(念のため断っておくが、一般消費者を見下しているのではない)信頼保全という見地から産地の将来にわたってのリスクとベネフィットを秤に掛けて考えれば致し方ない面がある。ではあるが、それがそのままでいいというのはあまりにも経済的側面から見ても損失が大きく、消費者にとっても得策とは言えまい。

 

そのあたり、基準値の意味も理解しているとは思えず、また読者に対して理解を求める努力もしているとは思えないマスコミの報道姿勢にも大いに疑問を持つところであるが、農業にかかわる仕事をしている自分にも反省すべきところは多い。だからという訳でもないが、少しでもたくさんの人に基準値と残留超過がどのような意味を持つのか理解してもらい、健康被害がない程度であれば残留基準値超過農作物を何らかの手段を講じた上で流通させることができるようにできれば、と思ってこのエントリーをあげさせいただいた次第である。