アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

自分はなぜこんなことを始めたのか ?ぶたやまさんの「あなたの理由は何ですか?」に寄せて?

twitterで、表題にあるようなぶたやまさんのまとめを見た。そして、ふと自分はどうしてブログでこんなことを始めたのだろうと思ったが、以前にぶたやまさんと話をしたときにはすぐに頭の中でまとめられなかったので「後でブログにでも書くね」といってそのままにしていた。というわけで、今回はそのことを自分の中で整理するためにもエントリーにしたいと思う。

とはいっても、結局は自分の考えてることって似たようなことがぶたやまさんのまとめの中に必ず見つかってしまう。でも、自分のためには無駄にならないと思うので、何とか文章をでっち上げる作業にかかろう←いまだに前置き。

一番のきっかけは、農作物の安全性に対する一般の誤解だった。これは、農薬・化学肥料に限らないが、「人為的に化学合成された物質」への嫌悪感が大きいと思う。高度成長期の公害など(一般化しちゃって申し訳ないが)で特に日本人には新規テクノロジーへの忌避感が強いのだろうか。また、農薬事故による被害は、現在でもなくなってはいない(農水省の統計資料参照)。農薬の安全性にいまだに疑問を持っている人が後をたたないことに関して、これも理由の1つになっているのだろう。

また、農作物中の硝酸塩濃度が高いものが多く(農水省の資料参照)これは化学肥料が悪いように思われているが、化学肥料そのものが原因ではなく、化学肥料であろうが、有機質肥料であろうが、やりすぎがよくないのであって、あくまで施用された窒素の量の問題なのである。

とにかく、農作物の安全性に対する認識は(あくまで個人的印象だが)他のニセ科学問題と違い、「農薬や化学肥料は危険なものである」が一般的であるということだろう。もちろんこれは、農薬の安全性に関する技術や使用法や規制する法律などが時代とともに変化してきていることに対して、一般の認識が追いついていないことによるものだろう。ここのところは、われわれ行政の立場にいる人間にも大きな責任がある。もちろんそのほかの社会的な問題もあるが、ここでは話が分散しすぎるので申し訳ないが論じないことにさせていただく。

農薬や化学肥料の安全性については過去に何度も述べてきているので、ここではいまさら繰り返さないが(どんなに使っても安全だと言っているのではない。あくまで量の問題)、こういった一般認識の状況が非常に腹立たしく、農業全般が冷ややかな目で見られることが我慢ならなかった、というのが出発点となっている。

ただ、このようなことをやり始めてからやや認識を改め、自分が属する業界の利益を代表するだけでなく、誤った認識が広まったままでは社会のリソースがあまりにも無駄になりすぎている、そこを何とかしたいと思うようになった。そのあたりは、ニセ科学批判関連などのつながりでネット上でやり取りをするようになった方々の影響が大きい。その当たり、自分は非常に恵まれていると多方面に感謝したい次第である。

・・・しかし、逆にその絡みでEMやホメオパシー関連の批判に結構な頻度で関わらざるを得なくなったことだけはなんだか重いものを背負い込んでしまったようで、ちょっとしんどい思いはしている。とは言っても、それは自分の自由意志でやったことであり、特定の誰かに恨みなどを持っているわけではないので、誤解なきよう(笑)。