アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

「農地を守らねば」が農業経営の足かせになっている場合がある

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※写真はスイートコーンです。記事本文とは直接関係ありません。


近年、農業労働力は減少傾向にあり、また高齢化も進んでいます。よく言われる紋切り型の文言ですが、農林水産省の農業労働力に関する統計>農業就業人口及び基幹的農業従事者数を参照すると平成22年から30年にかけて一貫して減り続けており(260.6→175.3万人)、65歳以上の割合は平成27年からではほぼ横ばいではあるものの22年と比較すると微減となっています。

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そんな中で、筆者周辺の地域では担い手と呼ばれる基幹的農業者は主に収益向上のために大規模化を志向する場合が多く、そういった農業者に地域の農地が集約されていく傾向があります。おそらくこれは、全国的にもそういった傾向にあるのではないかと思います。

 

私の実感としては、農外から参入して法人経営志向の農業者については、集約した農地は収益を上げるためにいかにうまく様々な品目を組み合わせて回していくかを重視して、効率の悪い農地は無理に何かを作付するようなこともなく、最低限の管理だけ行って全体の効率が上がるように作付計画を組み立てていくというような考え方をします。

 

ところが、昔から地域に根付き、その中で中心的役割をはたしてきた農業者については、地域を護らねばならない、という意識が強いように思われます。もちろんそれは大事なことで、手入れをせずに荒れてしまった農地は、再び農作物を作付するためには膨大な労力や時間が必要になってきます。

 

なので、農地面積の維持を図るために管理を続けることは間違いなく必要なのですが、地域を護る意識のために、「地域での熱心な人」に高齢化などで農業を続けることが難しくなった人などの農地が集約しすぎている傾向が見られるのです。そして、その「熱心な人」は○○さんから預かったものだから、と丁寧な米麦栽培を行うわけです。それ自体は非常にいいことです。ですが、当地域では「熱心な人」というのは米麦以外にも野菜などの園芸品目も手掛けている場合が多く、ここに落とし穴があります。

 

米麦は正直言って、中規模程度では儲けは非常に少なくなり、それだけでは個人で維持していくのは非常に困難です。10aあたりの水稲での儲けはせいぜい一作2~3万程度で、とある経営指標では5万というのも見かけますが、たぶんそれは農業機械の減価償却は入っていないのではないでしょうか。これが露地野菜などになると、土地利用型に近いブロッコリーでも10~20万くらいにはなります。面積当たりの収量が大きい果菜類になると100万を超えると思います。もちろん、野菜類と水稲では労働時間が大きく違うので、時給に換算すると印象が変わってくると思いますが。

 

ともあれ、地域の担い手が知り合いなどに頼まれて水稲の作付面積を増やし、借り受けた以上はという貸主に対する義務感や周囲の目を気にすることなどできちんと管理せねば、となります。このため、先ほど述べたことの繰り返しみたいになりますが、とりあえず農地が維持できてさえいればいいところを隅々まできっちり苗を植え、除草管理もこなし(畦畔の除草は持ち主がすることが多い)、ここに労力が結構割かれるようになります。

 

この時、担い手の方の野菜品目などのキーポイントになる管理が田植えや稲刈りの時期に重なると非常につらい結果を招くことになります。特にキュウリやナス、オクラなど果菜類の主要害虫の防除時期と田植えや稲刈りが重なり、防除が遅れて収量や秀品率の低下を招いている例を何度も見かけました。これに関しては指導を行う際には十分に注意を呼び掛けてはいますが、気候や水配分の関係から水稲の作業をずらすことができないことも多く、頭の痛い問題です。収益でいえばはるかに大きい野菜品目を、積極的にやりたいわけでもない水稲の管理に追われて十分に手入れできないのです。

 

ともあれ、地域によりますが園芸品目と米麦の担い手が同じ人のところに集中していることが問題になっていると思います。担い手としてはビジネスとして割り切り、貸主や地域の人たちも農地として維持さえできていれば多少のことには目をつぶる(もちろんきれいに管理できればそれに越したことはないです)など意識を変えていかねばならないのでしょう。