アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

基準値超過などによる農作物(その他食品も)の回収を考え直そう

今年は、食品の偽装表示や基準値超過による食品の回収が相次いだ。というどこでも見かけるフレーズで書き始めざるを得ないほど「そういう年」になってしまった。具体的にどんなことがあったのかは調べるのが面倒なのでここには書かないが、一番記憶に新しいところでは伊藤ハムのシアン化合物事件があった。これも、回収商品からシアン化合物は検出されなかったにもかかわらず、その地下水を使用した商品のロットについては今でも回収が続いている。

伊藤ハムの事件に関しては、フリーライター松永和紀氏が見事にまとめ、考察されているので、こちらを参照頂きたい。

企業側からすれば、回収しないことによるイメージの下落のほうが回収費用より大きいと判断したわけだ。そのあたり、企業とすれば純粋に経営判断であるので仕方がないといえば仕方がない。

しかし、ものは食品である。食べるために生産された農作物が、食べるために加工され、包装され、流通されたものだ。コストも、エネルギーも消費している。今回の伊藤ハムのケースは有害物が含まれている可能性があるということで本当に仕方がないと言うしかないにしても、食べてもまったく問題がないはずの産地偽装まで回収しなければならないというのはどういうことか?

産地偽装の場合、イメージ的に(あくまで、イメージ的に)問題があるとはいえ、中国産であろうとなんだろうと適正に管理されていれば、食品として食べてしまって何の問題もあろうはずがない。国産品と中国産などの価格差を利用して儲け幅を大きくしただけであって、企業に罪はあっても、流通している食品には何の罪もないのだから回収・廃棄などせず、食品として適正に利用すべきだろう。もちろん、そのままというわけにはいかないので「訳あり商品」としてどのような経緯でこうなったのかきちんと説明した上で値引き販売すればいいのではないか。

これが農作物の農薬残留基準値超過であった場合はどうか。今までのエントリーにも書いたが、農薬のADI(一日の摂取許容量)自体がかなりの安全マージンをとって設定されている上に、仮にいろいろな農作物で同じ農薬が基準値ぎりぎり以下で残留していて、同時に食べたとしてもADIを超えないような基準値設定がなされているため一品目で基準値を少々(というか少々でなくても)超過していたとしてもADIを超えることは考えにくいし、たとえADIを超えたとしてもその一回だけで、その後超過することがないように気をつけていれば健康影響があることはまったく考えられない。すくなくとも、急性毒性が出るような数値で残留していなければ食べてしまったとしても直ちにどうこうする必要はないだろう。

ただし、農薬の残留基準を超過しないような使用方法は農薬取締法という法律で登録という形で決められているし、健康に影響がないからといって農薬の使用濃度や使用回数を勝手に変えることは許されない。これが多くの人のコンセンサスを得るためのルールなのであり、ルールは守るべきものである。

しかし、農薬の基準値超過の多くは農薬登録の複雑さから来る勘違いであったりすることが多く、ほとんどの場合悪意はない。もちろん先ほどから繰り返しているように法律であるので悪意がないからといって遵守できていない場合はそれなりの措置をとらなければならない。
だが、食品として健康被害が考えられないレベルの残留でしかないものを直ちに流通停止・廃棄していいものだろうか?繰り返すが、食品として労力もコストもエネルギーも投入して生産されたものである。国産農作物の場合食糧自給率にもかかわってくる問題である。

そこで、やはりこのような農薬の残留基準値超過農作物の回収・再流通については、産地偽装食品について今回述べたのと同じような措置をとるべきだと私は考えている。もちろんそのためには基準値超過農作物再流通のルール作りが必要である。個人的には事例ごとの個別の判断で十分かとも思うが、それでは社会的なコンセンサスが得られまい。個別判断で見切り発車をした場合、適正な販売形態や価格がなかなか決められず、はじめは相当な混乱を招くだろう。

と、ここまで書いてみて思ったのだが、仮に個別判断でいったとしても、それならそれで適正な状態にいずれは収斂していくように思えるので、下手に頭で考えたルールを適用して問題点が出たらそのルールを修正、としていくよりいいかもしれない。

いずれにしても、基準値を超過したから、表示の偽装が見つかったからと機械的に全量回収する今のやり方は何とか改善していただきたい。いま、国会議員も各省庁も政局ばっかり見てこういう細かいところに気を使う余裕のある人がいないのはまことに残念である。地味だが、こういう堅実な改善をしていく人材こそが必要であるし、政治家としても貴重だと思うのだがどうだろうか。

自分も自分が所属している組織で、内部から改善し、このような提案をしていけるように努力していきたいと思っている。