アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

政策も研究も担当者は現場を見てから!

ここ数年ほど、農業の現場に最も近いところで仕事をするようになって感じることは、ごく当たり前のことであるが「頭で考える農業と現場の乖離」である。

私は、今の職場に来る前は農業試験場というところにいて、土壌肥料の試験研究を担当していたことは以前のエントリーにも書いたとおりである。その少し前から農業、特に園芸栽培における施肥体系が環境に与える負荷が問題であると認識されるようになってきていた。このため、当時の自分は環境に負荷を与えているものの原因究明と負荷低減のための施肥方法の研究が課題のひとつだった。

当時まではずっと農業試験場及びその関連施設の勤務ばかりで、農業生産の現場をほとんど知らなかった。もちろん現地調査もあったが、農家との接触は限定的だったうえに、農家出身でもないので農業生産の現場はもっぱら外から眺めるだけであり、現場で起きている問題に対する農家の本音など知る由もなかった。
もちろんこれは研究者としての自分の驕りであり、外から眺めて農業をわかった気になっていた勘違いであった。もっと何らかの手段で農家の本音を知る努力をするべきだったと思う。もちろん研究を手がける動機としてはこうすれば農家は儲かるはずだ、より便利になるはずだ、結果喜んでもらえるはずだというものであったが、どれほど良い結果が出ようと農家自身が「使いたい」と思える内容でなければ現実問題として普及しない。
たとえば、施肥量を低減したり追肥の手間を省けるようになる技術を開発したとしよう。詳細に検討すれば、トータルで金銭的にも少々得になるとしても初期投資が大きければ(元肥に緩効性肥料など単価の高いものを使うなど)目の前の負担増に対して、農家というものはかなりの抵抗を感じるものである。特に手間を掛けて経費を削減できるなら手間を掛けるほうをとる。経費をかけて自由な時間を捻出するとかいう発想にはなりにくいのである。とくに、高齢の農家にその傾向が強いように思う。
これ以外にもいろいろ例はあるが、とにかくこういった点が試験研究をやっていたころはわかっていなかった。いい技術を開発しただけでは、農家の心を動かすには至らないのである。

では、今なら農家の要望に即した技術開発ができるのか、といわれれば胸を張って「そうだ」とはなかなか言えないが、少なくとも農家心理に思いを馳せることができるようにはなったと思う。もちろん以前だって考えていないわけではなかったが、ごくごく表面的なものであり、意欲が上滑りしていたな、と昔の自分を振り返ると強くそう思う。

そこで思うのは、研究であれ、行政であれ、農政にかかわる仕事をする人には、ぜひ現場に近いところでの仕事を経験していただきたいのである。日々農家が何を考え、何を感じているのかぜひ間近で見ていただきたい。そうでなければ政策立案も、研究計画も良かれと思ってやったのであれ絵に描いた餅になりかねない。
ただ、国の農業試験場関係については、海外との競争もあるので、現場から乖離した研究になるのはある程度致し方がないと思う。即お金になるような、農家の顔を見ながらの研究計画だけではなく、そういったものから自由な基礎研究はそういうところでなければできないからである。

ということで、都道府県及び市町村の農政関係者や農業の試験研究関係者はぜひ現場の仕事を体験し、農家の視線に即した思考回路で仕事をしてほしい。具体的には、都道府県では若いうちに普及センター(農業改良普及員)の仕事を経験しておくべきである。私のように、40近い年齢になってから初めて現場に出ても、その経験を生かせる年数が限られている。第一線でバリバリやれる年数がたくさん残っているうちに、ぜひとも普及現場を経験して、それを生かしてほしいと思っている。

そうすれば、もっと農家が喜ぶ行政になるはずである。