アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

官僚が科学情報を発信すること

これもちょっと前の話だが、松永和紀さんがご自身のブログにサイエンスライターの収入について、同じサイエンスライター北村雄一さんの講演をきっかけに考えたことを書いておられる。

これを読んでいると、本当にサイエンスライターって食えない職業だな、と思う。妄想を書き連ねて文章をでっち上げればいい(こういう何もないところから物語を生み出す作業も相当大変だし、架空世界の話であっても実際には資料なしで書くのはかなり難しい作業なのだが)ファンタジーなどと違い、情報の正確さを期さねばならない科学読み物は資料集めや取材など相当綿密にやらないと中身の信頼性を失う。
実際に文章を書くより、そういう作業に費やされる時間や費用を考えると出版した本が少々売れたとて所得増にはつながらない。よほど売れっ子になって、出版社などがある程度費用を負担してくれたり、取材先が便宜を図ってくれるようになったりしない限り、苦しい状況から脱することはできないのだろう。

昔、私も文筆業を志したことがあって、いや、志したというにはあまりに文筆業をなめた態度であったし、本気度も低かったのだがそのときに友人の作家や私などよりはよほどその方面の実態に詳しいそのほかの友人などから作家なども収入や仕事の厳しさは公務員とは比べ物にならないと聞かされ、ある程度わかったつもりでいたが、ルポライターそれも科学系となればこれほど厳しいものかとうならざるを得なかった。

そこで、松永さんは北村さんの「国家官僚がサイエンスライターをすればいいじゃないか」という言葉を引用されているが、これについては、持った湯飲みをばったと落とし、小膝たたいてにっこり笑い、その手があったかと目から鱗が落ちる思いだった。

国家官僚に限らず、技術系の公務員なら公費で集めた資料が自由に使えるし、ネット上のデータベースにもアクセスできる。取材旅行は難しいが、収入の心配もないのでそれでも恵まれた環境であるといえるだろう。さらに国家官僚なら偏差値の高い大学を出ている「優秀な」人が多いし、後は文章力さえあればサイエンスライターとしての資質には問題がないだろう。ただ、国家官僚には世間知らずな人が多そうなイメージがあるのでそのとおりだとするとそれは「公平な目で見られる」というメリットでもあり、「世間の感覚とずれている」というデメリットにもなろう。

こういった原稿を書くことを世間に正しい知識を広めるための官僚としての仕事で行い、原稿料も印税も公費に入れるとなれば時間中にやっても問題ないだろうし、個人として書くなら私的な時間に書けばよい。ただし、資料を使うのは本来の仕事に限らねばならないので、内容についてはかなり限られたものになると思うが。

しかし、自省も込めて言うのだが、官僚が企画する事業などはたいてい面白くないので、内容は正確でも面白くない本になりがちだと予想されるのが心配な点である。実現も具体的な提案もしていない時点でこんなことを心配しても始まらないのだが。しかし、発想自体は面白いと思うので、興味のある国家官僚の皆さんはここから松永さんや北村さんのサイトへ飛んで、本気で考えてくれませんかね。

本当に優秀な方は、とっくにそれらのサイトは読んでいるんでしょうけど・・・。