アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

できるだけ多くの人の技術向上を目指すために

今までに、2回ほど技術に関するエントリーを書かせていただいた(イチゴは苗半作というけれど 技術があるとはどういうことか)。いや、他にも言及しているエントリーはあるかと思うが、主題が技術なのはこの2つである。技術の底上げ、高位安定化が最終目標というか絵に描いたモチのような理想ではあるが、今回はそれに向かって自分がどのように考えてきたか、これからどのようにしていくのかを考えてみたい。 農作物は植えて、ただ水と肥料をやっておけば勝手にできてしまうものではない。水も肥料も適切な量と時期を間違えればその植物の持つポテンシャルを最大限に生かせないし、過不足いずれも病害虫の原因となる。また、薬剤による防除または耕種的防除(栽培上の工夫によって病害虫を低減すること)も薬剤や作業の種類、タイミングの選択が結果に大きな違いをもたらすことは病害虫防除のエントリーで述べた。 園芸作物の場合、ほとんどの品目で各地域にあわせた栽培技術が高度にマニュアル化されている。私がたびたび取り上げているイチゴなどの場合、特に養液栽培では水と肥料のコントロールが容易なため、その傾向が顕著である。それなのに、収量や品質に大きな個人差が存在する。イチゴでは単純に数字で比較できる10aあたりの収量でも少ない人の2tから多い人になると6tもの収量をあげる人もある。植え付け時期の水分調整や活着までの遮光のやり方、葉かぎのやり方など事細かに解説してあるマニュアルを全員が持っているにもかかわらず、である。 今までのエントリーで植物に対する観察力というか「変化に気づく力」が大事であると繰り返し述べてきた。小さな変化を見逃すことなく、必要であれば対応する。これができる人が名人なのだと。新規の人でもこの観察力が鋭い人はいる。ただ、現時点では対処がわからなくても、名人になれる資質のある人はここで農協の営農指導員や県の農業改良普及員をうまく使い、問題が大きくならないうちに対処していることが多い。また、感性が鋭くなくてもやる気あふれる人なら人間は努力で一定のレベルまでは鍛えられるものなので、それなりの技術は身につけていく。 ここを引き出し、技術レベルの底上げを目指すのが自分の仕事であると常々考えてきた。しかし、先日上司とこの点について話をしているときに「そこで止まってはいけない。その対応力までもマニュアル化して全員の技術を引き上げなければ」と言う意味のことをいわれた。それに対し私は「それは高校野球の選手にイチローの目から見た野球の世界を見られるようにしろと言っているのと同じです」と答えたが、「それをやれ、と言っている」と返された。現場をわかってない無茶を言うなぁ・・と思ったが、いや、無茶は無茶なのだが何事もあきらめたらそこで終わり、という意味だと受け止めればと考え直した。その上司はどうやら欠如モデル的考え方で解決ができるものと思っているようだ。もちろん自分も以前はそう考えていたこともあったが、そんな単純に解決できるものではない。そういうものならこの世の中にこんなにニセ科学にだまされる人がたくさん出てくるとは思えないのである。 しかし、そこで立ち止まっているわけにも行かないので何かひとつからでも考え方を切り替えて、欠如モデル的考え方で行くなら行くでより単純化した表現の仕方はないものかとまずそちらから攻めることを考えている。いま、具体的な方策はまだ思いついていないのだが、作業の優先順位を示した資料を作ってみることを考えている。センスのある人は言わなくてもわかるのだが、わからない人は今なすべきことがわからず、目の前にある作業に一生懸命になっている。もちろん病害虫防除など状況によって優先順位は変化するのだが、少なくとも平均的な進行状況での作業の優先順位は示せるものと思う。ここをすっきりすれば、忙しくて手が足りず、すべての作業ができないときにどのように作業を組み合わせていけばその影響を最小限にとどめることができるのかわかるようになってくるのではないか。 もちろん、それだけで十分とは思えないし、農業界のイチローになれるわけではない。しかし、超ファインプレーをしたり、がんがんホームランを打てなくてもしっかり守る事はできるようになる、まずはそこから考えてみたい。それでも、本人の意欲がなければどうにもなりはしないが・・・。