アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

土作りはなぜ必要か

何かものすごく基本的な表題である。しかし、ここ最近のエントリーを眺めてみるに、EMをこき下ろしたり、JAに文句つけたりと必要なことではあるが非建設的な趣旨の話が多かった。何か前向きな話がしたいと思っていたところ、土作りについてまとまった話をしたことがなかったことに気が付いた。今まで関連エントリーでそれぞれに土作りに触れていたので、書いたつもりになっていたが、そのものストレートな表題のものがなかった。そこで、今回はその話をしたいと思う。

さて、そもそも土作りとはいったい何か。土壌肥料の専門書として基本的な「新版土壌肥料用語辞典:農文協」にもその項目はないくらい基本的かつあいまいな用語だと思う。で、土を作るといったところで他から原材料を持ってきて一から土を作るわけではもちろんない。自分の考える定義としては農業用地を作物の生産に適した土壌環境にすることだと思う。

土壌の最も基本的な構成要素は鉱物粒子である。岩石が物理的に細かく砕かれ、さらに化学的変化によって形質を変え、粒子状になって土壌のベースとなる。そこに微生物や植物が徐々に繁殖し、その遺体が腐植となって生物・無生物が入り乱れた複雑な土壌を形成していく。こうして土壌は出来上がっていく。

しかし、そうすると自然状態で植物にとっては結構好適な土壌環境ができているのではないかと思うかもしれない。実際、野原や里山を見てみれば、複雑で豊かな植物相が形成されている。ことさらに人間が手を加える必要がないのではないかというわけだ。しかし、ここに自然農法を標榜する人がはまりやすい罠がある。一見豊かに見えるが、咲き誇っている花の下にはたくさんの犠牲がある。それぞれの植物は個別に見ると意外に貧相にしか育っていない場合が多いと思う。

閑話休題

言いたいことからずいぶん話がそれてしまった。つまり、自然状態では植物の生育にとって最良の状態であるとは限らず、その土壌環境に合う植物が環境が許容する範囲内で繁殖しているだけである。農業とは、その自然状態を超えてより多くの収穫物を収奪する行為なので、人為的な土作りは欠かせないのである。

一般的に、土作りというとどちらかといえばふかふかした軟らかい土作りをイメージする人が多いと思う。より深く、広く根が張れる状態ということだ。土のこういった軟らかいとか固いとか、隙間が大きい、小さいという状態を表す言葉を土壌物理性というが、土作りとはこの土壌物理性のことだけではない。これについては後述する。

では、具体的な土作りの話に入ろう。まず鉱物粒子だけの土壌状態があるとしよう。山野を切り開く場合、表土には腐植が含まれているが、少し掘り返すと母岩土壌が出てくる。西日本では花こう土(マサ土)が一般的かと思う。これらはほぼ鉱物粒子だけである。そうするとどうなるか。それらの粒子は粗く、お互いに引き合う力も弱いので均等にびっしり詰まった状態を作りやすい。つまり通気性、排水性が弱く、固くなりやすいため植物の根が広く張りにくい。また肥料成分を捕まえる力(保肥力:塩基置換容量)も弱いため施用した肥料が土壌にとどまらず、無駄が多くなる。これが花こう土でなく粘土質土壌(玄武岩質)であれば少々事情が変わる。隙間はより少なく、通気性、排水性はかなり少なくなるが、保肥力は大きい。しかし、結局植物の根は張りにくいのでいずれにしてもそのままでは耕作に適さない。

一般的にこういう植物栽培に適さない土壌については、堆肥等の有機質資材を施用して改善を行う。よくできた完熟堆肥は普通暗いこげ茶色をしているが、これは腐植酸の色である。腐植酸は有機物を分解したときに最終的に生成される物質のひとつで、土壌粒子同士を結びつけ、団粒構造を形成する。これによって土壌粒子がある程度大きな塊となり、隙間(土壌孔隙)を形成して通気性、排水性を向上させる。また、腐植酸は他の腐植物質であるフルボ酸とともに土壌の保肥力を増大させる。こうして、耕作用の土壌として理想といわれる固相(鉱物粒子):液相(水分):気相(空気)=4:3:3という比率に近づけていくのである。

また、土作りは化学性という面からも考えなければならない。物理性の改善が重要だからといって、施用する有機質資材の性質も考慮せず、大量施用を続けていては塩基類の蓄積による土壌のアルカリ化やリン酸の蓄積を招く。特に鶏糞はカルシウムとリン酸が蓄積しやすい。また、比較的肥料成分が少ない牛ふんではカリウムの蓄積が起こる。適切な土作りのためには土壌診断を行いながら化成の資材も併用してバランスをとり続けなければならないのである。

それでは有機質資材等の施用によって土作りができてしまった土壌は、それ以上分解しにくい腐植酸等によって出来上がっているので、そこで土作りをやめてしまってもいいのだろうかというと、そんなことはない。腐植酸もゆっくりではあるが分解されるし、潅水等によって溶脱も起こる。また、人間が作物を栽培し、食用とすることでその土壌からの収奪が起こる。穀物果菜類など植物体の一部だけ利用し、残りは土壌に還元するとしても収穫した分だけの収奪は起こるわけだ。その分を補ってやらねば土壌は痩せていくので、継続して有機質資材の施用が必要になるわけである。

以上のような理由で、土作りは必要なのである。しかし、これは自然を参考にしてはいるが、自然な行為ではない。何度も繰り返すが、単一の植物相を作り、もともとやせていた土地を肥沃な土壌に変える人の営みを自然とは言わない。土作りを行い、農業を営むことはたとえ何十年何百年昔であってもその時代なりの科学的考察に基づいた人為的営為なのだから。