アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

求められる「断言・言い切り」と指導者の意識のギャップ

今の仕事(農業技術の普及・指導)をするようになってから、色々と技術者と生産者の意識の違い(良し悪しではない)について色々と考えさせられることが多い。特に、試験研究から普及・指導に変わったとき、研究者として良かれと思ってやっていたこと、この試験はいい結果が出たと満足していたこと、その意識がそのままでは栽培の現場では通用しないことに驚くと同時に自分の内弁慶に落胆もした。

それはとりもなおさず、自分が農家出身ではないこと、試験場在籍中はほとんど現場に出る仕事にかかわってこなかったことが大きいが、そういうことを意識すべきと考えることがなかった自分の姿勢も大いに反省すべきところではあるが、過ぎてしまった過去は取り返せないので、ここから先の自分の仕事振りで穴を埋めていくしかないだろう。このブログにおける活動も、その一端であるといえる。
さて、今回取り上げたい意識のギャップとは、一般消費者も農家もはっきりした「結論」を求めてくるのに対し、われわれ指導をさせてもらっている立場からするとなかなか「こうだ!」とは言いづらいことが多い、ということだ。

よく言われるのが「結局、どの農薬が一番効くのか」など最高の結果を出せるものをはっきり指定せよ、といったようなことである。とにかく、白黒つけたいのだ。しかし、農薬の効果などは気候や抵抗性発達の地域差などによって違うし、発生の状況によってどういった作用をする農薬がベストなのか変わってくる。場合によっては殺虫・殺菌効果ではベストといえる農薬をあえて使わないという選択肢もありうる。

それはなぜか。たとえば、発生量がそれほどでもない時期に、効果は高いが栽培期間中1回しか使えない農薬を使ってしまった場合、その後に大発生が起きても対応できる農薬がない、ということになりかねない。であれば、そのときそのときの発生量をモニターし、被害の大きさを見極めながらそれほど効果は強くない農薬をあえて使う、ということも考える。また、毎年の発生消長を調べ、大発生が起こりそうな時期の少し前に効果の高い農薬を使い、発生ピーク時の密度を抑制するという考え方も出来る。

そのようなことや、収穫までの期間、周囲の状況などを勘案してどの農薬をどんな組み合わせで使用するかを決定する。とは言っても、それが本当のベストなのかどうかは判断のパラメータが多すぎて確実なところはなかなかいえない。なので、選択肢をいくつか提示して選んでもらうというやり方をしたいところなのだが、そういった「自分で考えて選ぶ」という行為を嫌がる人も結構多いのだ。だから、農業改良普及員にしても、JAの営農指導員にしても、いろんな提案ができ、なおはっきりものを言う指導者が喜ばれ、人気が出る。

長いこと試験研究をやってきた自分にとっては、これになかなか慣れなかった。今でも、防除について指導するときは「〇〇(農薬名)をやってください」とはっきり言うのは言うが、そのメリットデメリット、その他の選択肢やその理由なども出来るだけ話すようにしている。予防線を張っている、といわれても仕方ないが、はっきり断言して言いっ放しにはなかなかなじめないのである。それでも最近は実質的に違いがなければ、断言っぽくいってしまうこともあるか・・。「ここに農薬名と、何リットルの水に何g入れたらええか書いといて」となることもしばしばあるからである。

二つ前のエントリーFood Watch Japanでの岡本信一さんの記事について言及したが、日本農業の品質や収量の問題には、小規模農家が多数存在する構造的問題に加えて、こういった農家の意識の低さにも原因があるのだろう。しかしそれは、農家側だけの責任ではない。日本の農業の生き残りを考えるなら、行政もJAも一体となった活動が必要になってくるのだろう。

その中で、個別農家としての生き残りを図るなら、普及員やJAをうまく利用しながら経営も技術も自分で考えていける農家への脱却を図っていくべきだ。事実、そういった構造への転換はかなりゆっくりではあるが始まっていると思う。ただ、自分にはまだその着地点は見えていない。その着地点を見ることが出来るかどうかもわからない。しかし、よりよい着地点を目指して模索し、あがき続けていきたいと思っている。