アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

野菜解説シリーズ ?ネギ科ネギ属のお話?

久しぶりの更新です(笑)。Twitterで連ツイしたものの再掲です。トゥギャッターにもまとめてもらったりまとめたりしたので、重複していますが、こちらのみ読んでくださっている方もおられるので、再掲します。基本的にtweetそのままの内容です、手抜きですいません・・・。

それでは、まずはいわゆるネギのお話から。

さて、昨日ネギの分類について話題に上がっていたのでそのあたりを解説してみたい。発端は関東と関西(というか東日本と西日本?)で単に「ネギ」と呼んだ場合に何を指すのか、という違いについての話題だった。関東では葉鞘(軟白)部の長いネギ、関西では葉身(緑)の長いネギになるというわけだ。

ネギの植物としての分類は種子植物門・被子植物亜門・単子葉植物網・ユリ目・ユリ科・ネギ属ということになるが、最近の分類ではヒガンバナ科としてネギ亜科、または単独でネギ科とする場合もある。ユリ科だとしても同じユリ科のアスパラガスに来る害虫のアザミウマはネギアザミウマなので、それもありかもしれない。

ネギ属という分類とすると通常流通していてそれに含まれるのはネギ、タマネギ、ニンニク、リーキ、アサツキ、ワケギ、ラッキョウ、ニラになるだろう。このほか、日本に自生する食用の野生種としてノビルがある。

この中で主にいわゆる薬味として使われるものを取り上げるとネギ、アサツキ、ワケギになると思う。昨日話題になっていたものはこのうち「ネギ」で葉鞘部を土寄せすることで軟白化させ、食用とする関東のネギと緑色の葉身部を使うことの多い関西のネギである。また、両者の中間的な越津ネギというのもある。

まず関東のネギであるが、これは関西では白ネギ、長ネギ、根深ネギなどと呼ばれる。先ほども書いたように、ネギの白い部分(葉鞘部)を土寄せして光を遮ることで長く伸ばし、食用とする。関西の葉ネギに比べ、粘液成分が多く鍋物や串焼きなどに使われることが多い。

関東の白ネギをさらに品種群で分類すると千住ネギ、加賀ネギなどとなり、加賀には有名な下仁田ネギも含まれる。下仁田ネギは葉鞘部の長さはあまりないが、特に太く粘液成分も多く甘みがあり、鍋物に重用される。西洋ネギのリーキは下仁田と形態的には似ているが、葉身が違い、種類としてはあまり近くない。

これに対して、関西のネギは葉鞘部が短く、せいぜい10?程度のものが多い。主に刻んで薬味に使われることが多い。品種群としては九条系ということになるが、生産地や用途によってさまざまな太さ、長さがあり、京都の九条ネギ、博多万能ねぎ、高知などの奴ネギ、香川のさぬき青ネギなどが流通している。

代表的な品種群の九条ネギであるが、もともとは大阪の難波で栽培されていた在来種が由来であると考えられている。それが都に優れた形質の野菜が集まるようになって栽培が始まり、特に九条付近で品質の良いネギがとれたことから九条ネギといわれるようになったということである。

青ネギと同じように主に薬味に利用されるネギ属の野菜には、ワケギ、アサツキがある。ワケギはその名のとおり分けつしやすく、種子繁殖をしないので分球した鱗茎(球根)で繁殖する。アサツキも鱗茎による繁殖である。

ワケギは、ワケネギと混同される場合も多いが、ワケネギは分けつしやすい葉ネギの一種であり、タマネギとネギの雑種であると考えられているワケギとは別種である。アサツキも鱗茎での繁殖であるが、ワケギより細く和食での薬味や添え物が主な用途である。極細の葉ネギをアサツキネギとして販売している例もある。

そしてお話は鱗茎を食べるネギ属へ。


野菜解説シリーズ第二弾ということで、前回葉を食べるものが中心だったので、今回は鱗茎(球根)を食べるネギ属野菜について解説してみよう。つまり、タマネギ、ニンニク、ラッキョウなどだ。日本に自生するネギ属の山野草であるノビル(野蒜)も球根を食べるが、それはまた別の機会に。

タマネギはインドや旧ソ連の一部を含む中央アジアが起源とされ、そこからヨーロッパに渡り、さらにアメリカに渡って多様な作型、品種が生まれ、主に明治以降日本に導入、定着したものと考えられている。中央アジアでは原種に近い小玉品種が中心で、南ヨーロッパでは甘味品種、東ヨーロッパでは辛味品種が中心である。

それがアメリカに渡ったのち、多様な気候、土壌に適応した作型、品種が生み出され周年供給が行われるようになった。その後おもに明治以降アメリカから日本に導入され、現在の品種の基礎になった。

明治初期に導入されたアメリカ系黄色品種が北海道ではイエローグローブダンバースが札幌黄に、大阪ではイエローダンバースが泉州黄になった。大正期にフランスから愛知県に導入された白タマネギが定着し、愛知白となったような例外もある。現在はこれらが複雑に交雑し品種は多様化している。

タマネギは肥大期の違いで極早生、早生、中生、晩生に分けられる。鱗茎の肥大は主に長日(日が長くなる)に感応して始まり、早生になるほど短日長で肥大が始まるが、温度にも影響を受け、温度が低いほど必要な日長は長くなる。

タマネギは低温に感応して花芽分化し抽苔(花茎が伸びてくること)するが、このためには低温になるまでにある程度栄養成長(茎葉が大きくなること)していることが条件になる。早植えしたり、大苗を植えるとネギ坊主ができてしまうのはこのためである。

ニンニクの原産地もタマネギと同じく中央アジアと考えられているが、はっきりしていない。エジプトやギリシャなど地中海沿岸では紀元前から栽培されていた記録があり、歴史は古い。地中海沿岸からヨーロッパ各地に広がり、16世紀にはアメリカにも渡ったが、栽培が本格化したのは18世紀からである。

日本では本草和名(918年)という古書に「オオヒル」という名前が記録されていて歴史は古いが栽培は近年まで広がっていかなかった。強壮剤などとしてわずかに利用されていたようだが、においなどが身分の高い人々に好まれなかったのではないかとの説もある。

アジアでの栽培は、まずは中近東から始まったとされ、それが中国を経て日本に導入された。中国では紀元前に西方から入ってきたと考えられ、全域に栽培が広がった。これが中国で普及し日本に導入される過程で寒地系と暖地系品種に分かれたと考えられている。

ニンニクは強壮食品としてよく利用されるが、強壮成分であると考えらえられがちな臭いのもととなるアリシンはビタミンB1を活性化し、殺菌効果もあるが、強壮作用はない。臭いがなかなか消えず、口臭などの原因となったりするのはタンパク質と結びついて消えにくいからである。強壮作用があるのは別の成分である。

某師匠から要望のあったソフトネックとハードネックであるが、ハードネックとは抽苔して花茎が形成され、茎が固くなる品種のことである。自分は日本の品種はすべてハードネックだと思っていたが、調べてみると寒地系品種にソフトネックがあるらしい。

ハードネックというか西日本の品種はすべて葉と根を切って出荷するが、ヨーロッパではソフトネックのにんにくを三つ編みのような編み方をして細長く連ねたガーリックブレイドというものを作り、半乾燥状態でつるして保存する。マルシェなどで軒先につるしてあったりする…ような気がする。

ラッキョウは中国が原産とされ、7世紀には赤、白の2種があったとされる。ニンニクにも出てきた本草和名にも記載があり、日本でも歴史は古いことがわかる。薬用に供されていたという話もある。

日本ではほぼ酢漬けにされ、カレーの付け合わせなどでおなじみである。中国では炒って食用に供され、酢、糖、塩、蜜漬にして保存する。熱帯アジアではカレーに使われ、大量に消費されている。

最後に、その他のネギ属。


ニラは原産地が中国西部といわれている。ニンニクやタマネギと違い、欧米では利用されておらず、東洋独特のネギ属野菜となっている。わが国でもその歴史は古く、9世紀辺りに導入されたと考えられている。もともとは「ミラ」と呼ばれていて、それがなまってニラになったとの説がある。

たびたび登場する本草和名(918)には「古美良」と記されている。わが国でも野生種のニラが田んぼの畔などに自生している。もともとの原生種か、栽培種が野生化したものかは明らかではないが、おそらくは野生化したものと考えられている。

黄ニラはそういう品種ではなく、遮光して栽培することによって軟白化させたものである。通常は一旦普通のニラを栽培し、刈り取って収穫した後の株にトンネルをかぶせて栽培されている。臭いは少なめだが、栄養成分は変わらないので臭いが苦手な人にも食べやすい。岡山県が主要な産地である。

ちなみに観賞用のハナニラは草姿がニラによく似ていて葉の臭いも似ているが、球根植物でハナニラ属という別属であり、葉は有毒である。ただし、野菜のニラの花茎を食べる「花ニラ」もありややこしい。花が咲いていればハナニラは1花茎に1輪が多いので、球状に多数咲くニラとは簡単に区別できる。

シャロット(仏名:エシャロット)は来歴がはっきりしない。他のネギ属と違って、地中海沿岸や古代中国などで栽培されていた記録がないらしい。日本に導入された時期もはっきりしない。ラッキョウに似た草姿で鱗茎と葉身の両方を食用にするが、ラッキョウというよりタマネギの変種と考えられている。

リーキは地中海沿岸に原種が自生しており、その栽培型が現在流通しているものと考えらえている。古代エジプトギリシャなどで栽培されていた記録があり、日本には明治になって導入され、各地で栽培されていた形跡はあるが、日本型のネギがすでに広がっていたためあまり定着しなかった。

リーキは軟白した葉鞘部を加熱してポトフなどに利用したり、刻んでサラダとして生食されることもある。無臭のジャンボニンニクはこのリーキの変種である。

ネギ属の山野草で食用にされるものではギョウジャニンニク、ノビルなどがある。ギョウジャニンニクはニンニクに似た草姿で宿根性である。アイヌネギ、ヤマビルなどとも呼ばれる。昔の山岳信仰で行者が精をつけるために食用にしたことからこの名がついたとされる。

ギョウジャニンニクは漢方ではかく(草かんむりに各)葱と呼ばれ、滋養強壮剤の特級品とされている。シベリア、中国、朝鮮半島に自生し、わが国では奈良県以北の山間地に分布している。おひたしや酢の物、てんぷらなど幅広く利用できる。

ノビルは東アジアに広く分布し、日本では北海道から沖縄まで見ることができる。田んぼの畔などによく見られ、細ネギやアサツキによく似た草姿でかたまって生えていることが多い。タマネギによく似た鱗茎を形成するが、1?3センチ程度と小さい。主にこの鱗茎を食用とする。


以上、ネギ属の野菜について解説してみた。今後、要望があれば他の野菜についても取り上げていきたい。とりあえずブロッコリー、カリフラワーで要望があるので、それらについてTwitterでまずやってみたいと思っているので、興味があれば私を見つけてフォローしてみて欲しい。気が変わってセロリを取り上げるかもしれないが(爆)

草勢(樹勢)ってなに?

先日、若いJA職員から質問を受けた。
「すいません、ちょっと質問いいですか?」
「ええよ、何?」
「草勢って言葉あるじゃないですか。それってどういうものですか?」
ふむ。当たり前のように使っていて、きちんとした定義をあまり考えていなかった。はっとしたが、わかりやすくイメージを思い浮かべてもらえばいいかと、そのときに自分がした説明は次のような感じだった。

植物には生育ステージと言うものがあって、それぞれに適正な生育というものがある。そのときにどういう対応をすればいいのかを判断する基本になるのが草勢とか樹勢と言うものになる。
一般的には、強いとか弱いとか表現するが、ステージごとに最適な強さは違う。例えばオクラでは初期に肥料を与えすぎると草勢が強くなって花が付かなかったり、付いた花が落ちてしまったりする。オクラ以外でも果菜類は初期に肥料を効かせすぎると花が付きにくくなって予定通りの収穫開始にはならなくなったりする。しかし、いつまでも肥料を控えていると、今度は植物体が大きく育たず、品質や収量が落ちるので適正な肥料を施すが、この適正な生育を判断するキーワードが「草勢(樹勢)」である。

オクラの場合、草勢はどこで判断するかと言うと発芽後の日数から想定される草丈以外にはまずは葉の形である。肥料が効きすぎ、草勢が強すぎると葉の切れ込みが少なくなり、丸っこい葉になる。もちろん、窒素の効き具合によって植物体全体の葉の色の濃さが変わってくるので、それも重要なポイントになる。ある程度大きくなってくると、花の咲いている高さも判断の対象になる。総勢が弱いと生長点の直下で花が咲き、旺盛だと花までの展開葉が多くなる。これを適正に保つために肥料を調節したり、下の葉を掻き取ったりするのである。

また、ナスでは草勢が弱ってくると短花柱花といって雌しべが短くなり、雄しべの中に隠れてしまう、等が指標になったりする。

といったように、具体的な例を挙げて、植物の生長が旺盛に行なわれているかどうかを見たものが草勢になるが、必ずしも強ければいいというものではないと言うことを理解してもらった。また、生産者には草勢が落ちてくるととかく肥料をやりたがる人がよくいるが、それだけで草勢が回復するとは限らないし、回復したところで逆に病気に罹りやすくなることもあると言うことも話しておいた。

そのときの話には出てこなかったが、例えば以前のエントリーに書いた植物の奇形についても草勢が強すぎるとイチゴの鶏冠果やマーガレットの石化なども出やすい傾向があるし、弱らせるとやたら花をつけようとしてなおさら弱ってしまうということもままある。

以前から何度か書いていることだが、草勢を適切に判断することは上手に農作物を栽培する基本だと思う。自分が栽培している農作物をきちんと観察し、その変化に気づき、適切な対応をする。適切に草勢を判断し、生育ステージにあった対応をきちんとできる人が上手な生産者なのである。

【告知】第2回ひやあつカフェ開催します

テーマ:農と自然の関わりについて
話題提供:がん(主催者)
日時:平成26年8月30日(土) 14:00〜
場所:讃岐漆芸美術館 カフェコーナー
   香川県高松市上福岡町2017番地4
   087−802−2010
 http://sanukisitsugei-gallery.at.webry.info/ 
人数:10人程度

参加費は頂きませんが、カフェコーナーにて飲み物を一品ご注文頂くこと、カフェ終了後に漆芸美術館を必ず見学頂くことが条件になります。
参加ご希望の方はこの記事にコメントをおねがいします。

讃岐漆芸美術館は駐車場が少ないので、できるだけ公共の交通機関でお越し頂くか、乗り合わせでお願いします。場合によっては、主催者で最寄り駅より送迎します。

半夏生と解釈改憲

半夏生、という言葉を見かけて思い出したのだが、この日までに農家は田植えを終え、この日を休みとすることが多い。特に四国地方では「さのぼり」という田の神を送るという行事を行い、香川県では地区にもよると思うが打ち込みうどんを食べたりする。これがどじょううどんのところもある。

自分は直接その運営に関わっていないので詳しくわからない部分もあるが、その昔は農業関係の公的機関でもさのぼりの日はその行事が終わったあとは仕事をしなくて良かったらしい。お昼になると早朝から女性の臨時職員に出てきてもらい、大量のおはぎとうどんのだしを作ってもらっていた。

もちろん、早朝から働いていてくれた女性臨時職員の方たちには行事が終わり次第帰宅してもらっていたという。それらが正規の手続きを経て早朝出勤及びその振替休としていたのかは自分にはわからない。とにかく、現実にはそういう手順で行事が行なわれていた。

もちろん、現在の基準からすれば「良くないこと」なのだろう。いや、当時としてもやるべきではなかったのかもしれない。そこは自分にはなんともいえない。しかし、そういうものなのだ、と思っていたという事は反省も込めて正直に告白しておきたい。

ともあれ、そのように一定の人が懐かしがる「昭和の時代」は「情」によって都合よくルールが解釈され、運用されていたと思う。それはもちろん良い面もあった。「さのぼり」の例ではそれには該当しないと思うが、そういった「温情」によって救われた人もたくさんいただろうと思う。

しかし、人間というのは縛りがなければゆるいほうに流れていくことが多い。もちろんそうでない人も多いが、そういう情によってルールを緩く運用することを許すという事はそれを悪用する人物も必ず出てくる。さらに、明確なルールがなく、慣習だけしか存在しないならなおさらだ。

そういう場で人間関係を構築していく場合、特に立場が上の人間はしっかりと自分を律することが出来る人物でなければ、セクハラやパワハラを生んでいくのだろう。それが社会では「必要悪」と思われていたのが昭和という時代だったのではないだろうか(あえて昭和で区切っています)。

だから、「情」で救われていた、そのおかげで生きやすかった人達が自分にとっての「古き良き」時代を懐かしむのはよく理解できる。大きな逸脱がなく、全体としてその方が効率よく仕事などが回っていくならそういう緩い社会のほうが生き易くていいのだろう。

自分などは勤勉には程遠い人間なので、そういう緩いルールをうまく回していく社会のほうがうれしいが、しかしそれだと現代においてはデメリットのほうがはるかに大きいのだろう。自分の周りでも、そういう慣習的な部分を自分に都合よく解釈して周りに迷惑を掛けている例がある。

社会的な例で言うと、わかりやすいのはセクハラ、パワハラだろう。また、食品関係では豚のレバ刺しを店で出す、などだ。これらは明文化されたルールがないのをいいことに、自分に都合の良い解釈をした結果、より厳しい社会を生み出し、自分で自分の首を絞めているわけだ。

色々ルールは細かくなって、一見厳しいようだけどそれはみんなが安心して平等に暮らすために少しずつ改良されてきたものだ。もちろん完全ではないけど、そのおかげで救われている人は昔より増えているはずだと思いたい。間違っているなら、きちんと手続きを経てルールを変えるべきだ。

だから、今回の内閣が推し進めている解釈改憲はその内容の是非はおいておくとしても賛成できない。こんなことをしていると現行政権は必ず痛いしっぺ返しを食らう。そうでなければこの国の行く先は真っ暗じゃないか。

岡本信一さんの「土壌を簡単に考え過ぎなのだ!!!」について

農業コンサルタント岡本信一さんが書かれているブログ「あなたも農業コンサルタントになれる わけではない」に「土壌を簡単に考え過ぎなのだ!!!」lというエントリーがある。このエントリーについては、おおむね同意である。これは岡本さんらしい問題定義だ。しかし、それに直接答えになる何かを提示するわけではないが、気になることがあるので少し触れてみたい。

土壌を面で捉えている、ということに関して補足しておくと通常10aあたり肥料kgというと表層10cmで考えることが多い。土壌化学性の診断を行なう時は乾土100gあたりmgという単位を使う。土壌を風乾(日陰で自然乾燥)させ、2mm目合のふるいにかけたものから、測定したい成分に合わせた抽出法を使って抽出し、発色液を使って色の濃度測定から成分濃度を計算したり、原子吸光光度計という測定機器を使って成分濃度を測る。そして、抽出した土壌の量と抽出に使った液量から乾土100g中の成分mgを計算する。

そして、土壌の仮比重を1として(ほ場にある土壌の状態で、孔隙(隙間のようなもの)なども含んだ比重)表層10cmの成分と仮定すると、乾土100g中の成分mgは10aあたりの成分kgと同じ数字になる。

このことから、土壌の化学性診断では乾土100g中の成分mgを10aあたりkgの基準値(及び成分バランス)と比較して過不足を判断し、標準となる施肥設計から各肥料の増減を行なう。といっても、減らす場合がほとんどで増やす事はまずない。

このあたり、説明はするがあまり農家さんには理解してもらえない。自分の説明がまずいと言うのもあるだろうが、そもそも理解する気がない人も多い。しかし、理解する気がなく、岡本さんが言うように土壌を簡単に考えすぎていると同ブログの次のエントリー「農家は環境問題をどう考えるべきか」という次の世代への継続の問題解決が難しくなってくるだろう。

化学肥料の問題点は、過去のエントリーを参照していただきたいが、ここでも述べているように、日本農業の施肥による環境問題は1つは元肥偏重による環境への肥料成分の流出である。これはすばやく効く化学肥料の性質に合わせ、手間と収量、品質(主に規格に合わせた外観品質)のバランスを考えて各地の農業試験場などで試験の結果導き出されたやり方ではあるが、環境へ配慮されているとは言いがたい。化学肥料のみを使うと考えた場合、効率を無視すれば植物の生長と肥料成分の吸収曲線に合わせ、細かく回数を増やして、天候も考慮しつつ少しずつ追肥していくと品質、収量を保ったまま(食味の向上にもつながると思う)環境負荷を減らす事は出来ると思う。しかし、そこまで手間を掛けると農家の作業負担があまりに重く、栽培可能面積は極端に少なくなる。つまり、現実には不可能に近い。養液土耕という栽培方法がこれに近いが、設備投資が必要になるという欠点がある。

結局あまりまとまらない話になってしまったが、これをきっかけに土と肥料から環境を考えていただければ幸いである。

農機を買うこと

今日、農協職員の方と話していて気が付いたことがある。農家の中には、一定の割合で農業にワクワク感を感じている人がいて(ここまではこの仕事に関わった当初からそう思っていた)、さらにその一定の割合にそのワクワク感が農業機械に向いている人がいるということだ。

その農協職員の方曰く、
「いや?、若い頃は車庫に収まる車やバイクを見て悦に入っていたんですが、近頃は農業機械にお金がかかって、車庫はトラクターや管理機なんかでいっぱいなんですわ。困ったもんです」
とのこと。しかし、口では困った困ったと言いながら、顔はぜんぜん困っていない。むしろ他の話をしているときに比べて思いっきり輝いているのだ。
「今度、組合員さんに新しい管理機とセットでアタッチメントの表層攪拌機をお勧めするんですが、自分も買いますよ!お勧めする以上、自分も持ってないと!」
どう見ても、自分が真っ先に試したい、その機械を車庫のコレクションに加えて眺めたい、そして使い勝手などを語り合いたい、と顔にはっきり書いてある。
「これで皆さんの作業が便利になって、ブロッコリーの面積が増えたら農協職員としてうれしいです!」
いや、この人の性格からしてきっと心からそう思っているとは思う。しかし、である。あんた自分が欲しいというのが一番やろ(笑)。自分では気づいてへんかもしれへんけど。

この仕事をし始めてから、やたら農機を買い換えたり、新製品を試したりする人が一定いることには気づいていた。もしかしたら、とも思っていた。しかし、これではっきり確信が持てた。

私がバイクや車を欲しがり、これから買おうかと色々物色しているときもすごく楽しく、また実際ツーリングに出かけるのも楽しく、ブログを書いて、他人とその情報を共有したりしてその喜びはさらに増していく。磨いてきれいになった車体を見て満足する。そういったものと、農業機械を趣味のように扱う人の気持ちはまったく同じなのだ。新しい機械が発売され、それによって自分のライフスタイルが変わる夢を見させてくれる。そして、購入を決意するまでそういったライフスタイルの変わった様をシミュレートしたりしてさらにワクワクするのだ。

そして、入手したら今度は仲間と機械談義。
「今度の管理機はえらい土が上がるやないか?」
「ホンマやのう。ワシも今度これにするかのお?」
おわかりのように、内容が農作業になっただけでバイクやクルマ談義と同じである。私も農家であれば、そういうタイプになっていたに違いない。

結局、何が言いたいのかというと、オッサンって結局そういう生き物よね!
↑根拠なしの決めつけ。てか、女性にだってそういう人いますよね?(文体が変わってるぞ)

炭素を循環させるってどういうこと?

先日、ツイッターで「炭素循環農法ってなに?」という会話がされていた。普通に循環型農業をやっていると結果として炭素を循環させることになるのだが、わざわざそういった「農法」を名乗る以上、何か特別なことがあるのかと思って調べてみたら、基本的には炭素を循環させることでその他の肥料を施用しなくても栽培できる、という技術らしい。

もちろん農業というのは物質的な収奪を行なっている以上、無肥料(成分)というのはありえない。肥料を施用しない代わり、何かが田畑に入っているはずではある。そのあたり、ツッコミどころはあるのだが、どうも炭素循環農法にもいくつか流派があり、さらに個別に色々な工夫があるので、それぞれを個別にどうこう言うのは非常に難しい。そこで、とりあえず今回は「炭素を循環させることの意味」についてのみ解説したいと思う。

炭素は植物にとって、というより生物にとって最も基本的といっていい元素だろう。「有機物」という言葉を説明するとき、「炭素を含んでいるもの」というとかなりの確率で当てはまると思う。例えば植物にとっては水素、酸素と結合して多糖類として繊維となったり、少し小さくなってでんぷんなどになったり、さらに小さくなって単糖(ブドウ糖や果糖など)になったりして様々な形態で必須のものとして存在する。要するに、植物にとっては体を構成する最も基本的で、大量に必要な元素ということになる。

しかし、植物は「光合成」という手段を使って、光エネルギーを利用して大気中の炭素を取り込むことが出来る。ではなぜわざわざ栽培者の手で循環させねばならないのだろうか。答えの1つは、以前も説明したことがある土作りである。

土作りは、主に有機物を施用することによって土壌の物理性や化学性を改善するということになるが、そのうち、最も重要な役割を担っているのが腐植酸(フミン酸)である。土壌中に施用された植物体(堆肥化されてからのことが多い)が土壌微生物に分解され、最終的に残ったものが腐植酸で、濃いこげ茶色で粘性が高い状態で土壌中に存在する。これが細かい土壌粒子同士をくっつけて団粒構造を作り、土壌の排水性、保水性といった物理性を改善すること、陰荷電を持っているため、陽イオンである塩基類(石灰、苦土、加里など)を保持して緩衝力を高めることは以前のエントリーで説明したとおりである。

その腐植酸であるが、元素の組成としては半分以上が炭素であり、あとは多い順に酸素、水素、窒素などを含む。これが先ほども述べたように、土作りに大きく関与するが、その構成元素として炭素が最大であるので、主に植物体を土壌に還元して炭素を供給、土壌の炭素率を向上する事は大きな意味を持つ。

先ほど、腐植酸は土壌で有機物が分解され、最終的に残ったものと書いたが、もちろん腐植酸もゆっくりではあるが分解され、二酸化炭素や水などになり、自然循環の環に戻っていくのである。