アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

福岡から出荷された春菊に「基準値の180倍」の農薬が検出された意味

先日、JAくるめを通して出荷された春菊から残留基準値を超えるイソキサチオンが検出されました。当エントリーではこれについての考察をしてみたいと思います。

www.recall.caa.go.jp

「春菊(食材)」の写真

フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)


Twitterでフォロワーさんから要請があったので、いくつか読んでみたネットニュースの記事などから、何が起こったのか、なぜこういう事態に至ったのかを考察して呟いてみましたので、ブログ用にまとめなおして記事にしてみます。

基準値180倍超え農薬の春菊、原因はタマネギ用の誤散布|【西日本新聞ニュース】

 

福岡市のプレスリリースによると、当該の春菊から9ppm、残留基準値(0.05ppm)の180倍ものイソキサチオンが検出された、とあります。各新聞社の記事は、これを参考にしたものと思われます。先ほど紹介した消費者庁のリコール情報サイトでは8.4ppm、基準値の168倍となってますから、福岡市も雑なまとめ方をするな、という印象を持ってしまいますね。最初は新聞社が独自に内容を膨らませたのかと思いました。

 

さて、それでは現場で何が起こったのかを普通に得られる情報から推察してみましょう。

 

まず、イソキサチオンは商品名としては「カルホス乳剤」、「カルホス粉剤」、「カルホス微粒剤F」があって、このうちタマネギに登録がある(合法的に使用できる)のはカルホス乳剤のみ。登録内容は「500~1000倍、定植前、土壌灌注、使用回数1回まで」つまり、タマネギでは植付前に土に1回だけ灌注できるわけですね。

 

イソキサチオンは浸透移行性(植物体に浸透し、散布されていない部位に移行する)や浸達性(葉の表面などに散布された場合、裏側まで成分が到達し、他の部位に移行はしない)はありませんので、土壌灌注したり、粉剤などを土壌混和や表面散布した場合、害虫に直接接触することで効果を発揮します(乳剤の場合は希釈して散布という使用方法の登録もあり、この場合は食毒(成分の付着した部位を食べて殺虫効果が発揮される)でも効果があります)。土壌から植物体表面に付着したものが残留する可能性はありますが、その量は非常に少なくなると思われます。

 

そういう使い方が想定されていて、なおかつ重量野菜のタマネギでの登録倍数で軽量野菜(重量比で表面積が大きい)のしゅんぎくの葉の部分に、土壌灌注と同じ希釈倍数で散布したらどうなるかは容易に想像できると思います。また、作物ごとに残留基準も違います。

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ただ、ここで問題になっていると思われるカルホス乳剤はトウモロコシ(子実)やキャベツでは通常の使い方(水で希釈して栽培期間中に散布)での登録があって、ここに誤解の余地があったのかもしれません。また、ややこしいことにカルホス微粒剤Fはしゅんぎく(定植前作条土壌混和)に登録があるんですね。

 

この、他の作物に散布が可能で、同成分(同名)でありながら登録内容が違う農薬の中にしゅんぎくに使用可能なものがあるという点もそれに輪をかけて誤解を招いた可能性もあるのかな、と思います。

 

整理すると

1.タマネギに土壌灌注で登録のあるカルホス乳剤(イソキサチオン)をしゅんぎくに散布で使用した。

2.イソキサチオンは浸透移行性、浸達性はないため、土壌灌注なら残留の可能性は低い。

3.イソキサチオンはカルホス微粒剤Fでならしゅんぎくに登録があり、カルホス乳剤は他の野菜には散布での登録がある。

4.これらの情報が交錯して使用できると思いこんだ可能性がある。

こんなところかな、と思います。

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さて、残留基準値の168倍というとすごい数値のように思えます。TwitterでADIとARfDの混同はないんだろうかとつぶやきましたが、普通に設定されている残留基準値からの倍率で間違いありませんでした。

 

通常、残留基準値はADI(一日摂取許容量)をもとにして設定されます。これは、一生涯毎日摂取し続けても人体に影響の出ないとされる量です。これに対し、ARfD(急性参照用量)は人が24時間またはそれより短い時間に経口摂取した場合でも人体に影響が出ない量とされているものです。詳しくは長くなるのでリンク先(pdf) をご覧ください。

 

通常、残留基準値はADIをもとに設定されており、ADIは動物実験等で得られた無毒性量に安全係数100で除した数値で決められている上、基準値を設定する際には同時に摂取する他の食品に同じ成分が残留している場合も考慮されています。なので、1度に食べる複数の食品にそれぞれ同じ農薬が目一杯残留していない限りADIを超えることは考えづらく、たとえ168倍といえども一度摂取したくらいではそのあと気を付けていれば問題ないといえるでしょう。

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ただ、急性毒性についてはどうかという疑問は残ると思います。福岡市のプレスリリースにはARfDについても触れられており、しゅんぎくでのイソキサチオンは0.003㎎/㎏/日となっています。これをもとに、体重60㎏の人なら0.003×60=0.18㎎となり、プレスリリース通り9pmの残留として計算すると20gを超えて摂取するとARfDを超えてしまうことになります。しかし、ARfDを設定した際に参照した試験データが見つけられなかったのでしっかりとした根拠を持ってお話しできるわけではありませんが、人でのデータでARfDを設定したということですので、種間差はなく、個体差の係数である10で除して得られた数値であることになりますが、それでも無毒性量の最小値から得られた数値であることから20gを多少超えたくらいでは心配するほどのことはないだろうと個人的には考えています。