アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

閾値についての個人的な考え方 何かに例えてみれば

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猛暑の中での外仕事で疲れは溜まってるのに痩せないがんちゃんです。

 

もう何十年も前から農薬で、ここ10年程は放射線量で人体への影響がある量というものがしきりに議論になっています。危険をあおる側は影響量や毒性量には閾値がなく、どんなに少量でも人体に悪影響があると言いがちです。極端な例では、たとえ一つの粒子が飛んだだけのごく弱い放射線でも(そんなのがありうるのかは私にはわかりませんが)遺伝子を傷つけ、がんを引き起こす可能性があるのではなどといった人もいました。

 

研究・科学実験のイラスト(女性)

しかし、残留農薬の基準値を決める大元になるADI(一日摂取許容量)(というよりnoael(無毒性量)?)のような数値が存在し、現場にいての実感とも矛盾しないことを考えると、やはり人体に全く影響のない量というのはほとんどの物質や電磁波、放射線にはある、と考える方が自然だと思います。

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さて、その閾値というものの存在をイメージとして一般の方にも理解しやすい説明はないものかと考えてみました。

 

「森の中に佇む大岩」の写真フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

まず、ここに重量10tの岩が落ちているとします。100人で同時に1分押せば何とかぎりぎり1m動かすことができると仮定しましょう(地面の状況や岩の形状によってはもっと少ない人数で動くかもしれませんし、もっとたくさんの人でも動かないかもしれませんが、ここではたまたまそういう条件だったとさせてください)。

 

さて、その岩を1人で押した場合、10分押して10㎝動くでしょうか?あるいは100分で1m動かせるでしょうか?おそらく1㎜も動きませんよね。びくともしないと思います。そこから1人ずつ増やしていけば、どこかで岩は動き出すでしょう。50人かもしれないし、80人かもしれない。100人がホントにぎりぎりだったかもしれない。100人がぎりぎりだったとしたら、それが閾値ということになるのではないでしょうか。

 

つまり、100人未満では全く岩は動かないのだとしたら、毎日毎日99人集まって押したところでどうにもなりません。農薬などにおけるADI(というか閾値)はこれに相当するのだと思います。

 

ただ、毎日集まる人が別の人だった場合は1日休みを作れば198人集めることも可能ですから、岩をどかすことだってできるかもしれません。意地悪な人は、人はいろんな農作物を食べているわけですから、たまたまそれぞれに同じ農薬が残っていて、岩を動かす話に例えた場合、1日で100人以上集まってしまうことがあるかもしれないじゃないか?というかもしれません。しかし、ADIを基に作られる残留基準値はそれらも考慮し、同じ農薬が残留したいろいろな農作物を一度に食べてもADIの8割を超えないように考慮して設定されています。つまり、たまたまそういうことがあっても、岩を動かす人員は80人しか集まらないように制限されているわけです。

 

さて、イメージ的には分かりやすくなったかと思いますが(自信はない)、このたとえ話はあくまで個人の考えなので、リスク管理の専門家がこの記事に対してコメントをくださると助かりますが、なかなか難しいでしょうね(笑)