アグリサイエンティストが行く

農業について思ったことを書いていきます。少しでも農業振興のお役に立てれば。

ホタテパウダーは農薬を落とす? そもそも市販農作物には農薬はほぼ残留していないが

「南国の海でも更新作業を怠らない意識の高いスーツ姿のブロガー」の写真[モデル:大川竜弥]

フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

1年以上放置していて、ようやく更新したがんちゃんです。

 

最近、SNSで現役のお医者さんが日本の農作物は農薬が多量に残留していて危険である、ホタテパウダーを水に溶いて洗浄すれば農薬が落とせて安全になる旨を発信しているようです。それについて検証し、効果があるとは思えないとした記事日本農業新聞に取り上げられ、専門家の監修も受けた内容になっており、一定の信頼性があると思われました。しかし、ホタテパウダーの化学的性質などについては、新聞記事という性格上あまり掘り下げられておらず、そのあたりについてもう少し知りたいと調べてみましたのでブログにまとめてみました。

news.yahoo.co.jp

 

これについては、以前にも似たような事例があり、その時にもホタテ粉末で農薬を落とすという商品について取り上げました。しかし、その記事では他の例を挙げて効果があるとはとても思えないと結論付けましたが、ちょっと内容が浅すぎ、今読み返してみるとこれは書き直す必要があるなと思ったわけです。

agriscientist.hatenablog.jp

 

施肥のイラスト

さて、ホタテに限らず貝殻の主成分はほとんど炭酸カルシウムです。塩抜きをした貝殻を粉砕したものはほぼ炭酸カルシウムの粉末と考えてよく、農業分野では主に牡蠣殻を粉砕したものが酸性の矯正用土壌改良資材として販売されています。

 

炭酸カルシウムは中性の水(というか真水)にはほとんど溶けません。酸性の水には少しずつ溶けますので、酸性の土壌をゆっくりと改善するには最適なわけです。一般に土壌改良資材として売られている苦土石灰も石灰分は炭酸カルシウムが使われています。

 

ですから、普通の水道水にホタテ貝殻をただ粉砕したものを入れてもほとんど意味はありません。なので、「農薬を落とす」と宣伝されているホタテパウダーは1000℃前後で焼成して粉末化しており、これによって炭酸カルシウムは酸化カルシウムに変化しています。酸化カルシウムは水にも少し溶けるため、この粉末を水に溶いたものは強アルカリとなりますので、これが農薬を溶かし出すということなのでしょうか?

 

ホタテ焼成粉末の水溶液は強力な殺菌力があり、食品衛生上の利用について神奈川工科大学 応用バイオ科学部 栄養生命科学科の澤井教授が研究されており、次亜塩素酸と同程度の殺菌力があり、野菜等での殺菌処理でも野菜類の品質低下は大きな問題にはならないと結論付けられています。
ただ、ホタテ焼成粉末の殺菌力は、アルカリに依存するのではなく、活性酸素が関与しているのではないかという点には注意が必要でしょう。

なので、ホタテパウダーで野菜類を処理することは、食品衛生上は意味のあることと言えます。もちろん、強アルカリの酸化カルシウム溶液は物質としてはたんぱく質を溶かす劇物なので、取り扱いには注意が必要です。なにか役に立ちそうな使用マニュアルがないか検索してみましたが、怪しいサイトが沢山引っかかってきましたので、諦めました…。

 

さて、冒頭で紹介した農業新聞の記事で、ホタテパウダーによって溶け出してきたものはなんだったのでしょうか。日本植物生理学会の植物Q&Aというサイトによると、「トマトのもっとも外側の皮の部分は外果皮と呼ばれ、脂質を主成分とするクチクラでできています。クチクラの最外層はワックスで、隣接した内側にはクチン(OH基を持つ脂肪酸が重合してできた高分子)が主体で、ワックス、ヘミセルロース(植物に含まれるセルロースを除く水に不溶の多糖類)、ペクチン質も含まれています。」とあります。このワックス部分が溶け出してきたものと考えるのが自然ではないでしょうか。

jspp.org

 

以前のエントリーでも書いたように、たとえホタテパウダーの効果が本物であったとしても、農薬の成分が目に見えるほど溶け出してきたら大変です。実際、農薬の残留分析の現場も見てきていますが(自分は土壌肥料の分析技術者だったので、すぐ近くでやっていたそれらの作業を時々見ていました)、農薬の成分ごとに溶解可能な溶媒が違うため、どの農薬がどのくらい残留しているのか、などある程度推定しないと分析そのものが成り立ちません。また、通常ppm単位以下での残留のため、溶出液そのままでは高速液体クロマトグラフィー等でも分析可能な下限値以下になり、まず特殊な方法での濃縮が必要になる場合もあります。つまり、通常そういうオーダーでの残留農薬が、強アルカリで目に見えるほど溶け出してくるはずはないのです。

 

プールの水を飲む人のイラスト

たとえるなら、プールの横でお弁当を食べていて、お弁当についてきた小さなしょうゆを落としてしまい、そのせいでプールがうどんの出汁みたいな色になったというようなものです。そのくらいで目に見えるほどプールの色は変わりませんね。それに、プールの水がしょうゆ味になったと気づく人もいないでしょう。

 

また、溶液の着色については、トマトのリコピンなども考えられますが、トマトの茎や葉などの表面に生えている毛から分泌されるアクの可能性が高いのではないかと思います。このアクは、トマト果実表面からの分泌はそれほど多くはないと思いますが、ヘタの部分や果実周辺の茎や葉から付着したものと思われます。

 

以上のことから、ホタテパウダー溶液で溶出したものおよび浮き上がってきたものは農薬である可能性は極めて低いと言えるでしょう。もしもですが、残留があった場合は、表層がはがれて浮き上がってきたものですから、農薬が含まれている可能性は否定できません。ですが、農薬が含まれていなくても少なくとも見た目には同様の結果になっているようですので、何かがホタテパウダーで溶け出してきたとしても、それが農薬残留の証拠という言説は間違っていると言えます。

 

しかし、現状流通している農作物に問題になるほどの農薬が残留していることはまずありえませんので、ホタテパウダーで農薬除去、というのはいずれにしても全く意味がないと結論付けられると思います。